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> ナチズムより桁違いに巨大な惨禍を人類に与えた「Manifest der Kommunistischen Partei(共産党宣言)」は、
なんか、イスラム過激派が悪いことしているからって、コーランが悪いというのと五十歩百歩な飛躍だな。
コーランは知りませんが、暴力革命とプロレタリア独裁を煽る共産党宣言は悪いでしょう。
# 旧約聖書…
>暴力革命とプロレタリア独裁を煽る共産党宣言は悪いでしょう。
と言えるほど平和な世の中になりましたね。
共産主義自体は好きではないので、それへの擁護ではないよと付け加えた上で、歴史を振り返ると、民衆の不満による「非合法な暴力や活動」が無かったら、近代の民主主義自体が存在しなかったと思う。
そうは思いませんけどね。近代の主義は啓蒙思想こそが本質なわけで、啓蒙専制君主を通した近代化は十分可能でしょう。
「近代の民主主義自体が存在しなかったと思う」とわざわざ「近代」を付けたのは、古代のそれと一応区別しておきたかっただけです。補足のキーワードにすぎず、元コメントの主題は「民主主義政体」です。「近代化は君主制でもできた」とか、妙な返しをされると返答に困ります…
ヨーロッパでは、啓蒙思想より前に「国王は君臨すれども統治せず」という黄金の自由 [wikipedia.org](貴族民主主義)の政体を取るポーランド・リトアニア共和国がありました。そして、それは、イギリス国王のジョージ1世 [wikipedia.org]にも引き継がれ、立憲君主制が定着しはじめました。貴族民主主義が啓蒙専制君主を通して近代の民主主義となることは十分可能でしょう。
こういったピンポイントな事例を例示しなくてはならない点で、逆に既得権側が自らの権利を捨てて、一般民衆に権利を付与することの難しさ、稀なことを表しているように思います。
民主主義、身分制廃止、男女平等、その他もろもろ、今、当たり前に享受しているものの多くは、先人たちの膨大な血と涙と汗が流された結晶だと合点できるはずなのですが、呑気に「十分可能でしょう」などという発言からは、そういった努力は無駄だと言っているように聞こえてしまうのですが…
と言われても、江戸時代に民営の寺子屋が流行って就学率の高い状態にあり、貝原益軒の唱えによって女子教育(といっても儒学を基にしたもの(女大学 [wikipedia.org])ですが)が広まっており、明治時代に五箇条の御誓文で近代化を成し遂げた日本にとっては、ピンと来ないんですよね。西洋論者の福澤諭吉ですら、下のような感じ。
学問のすすめhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/47061_29420.html [aozora.gr.jp]>昨今の有様を見るに、農工商の三民はその身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並ぶるの勢いに至り、今日にても三民のうちに人物あれば政府の上に採用せらるべき道すでに開けたることなれば、よくその身分を顧み、わが身分を重きものと思い、卑劣の所行あるべからず。>およそ世の中に無知文盲の民ほど憐(あわ)れむべくまた悪(にく)むべきものはあらず。智恵なきの極(きわ)みは恥を知らざるに至り、己(おの)が無智をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずしてみだりに傍(かたわら)の富める人を怨み、はなはだしきは徒党を結び強訴(ごうそ)・一揆(いっき)などとて乱暴に及ぶことあり。>恥を知らざるとや言わん、法を恐れずとや言わん。天下の法度(ほうど)を頼みてその身の安全を保ち、その家の渡世をいたしながら、その頼むところのみを頼みて、己が私欲のためにはまたこれを破る、前後不都合の次第ならずや。>あるいはたまたま身本(みもと)慥(たし)かにして相応の身代ある者も、金銭を貯(たくわ)うることを知りて子孫を教うることを知らず。教えざる子孫なればその愚なるもまた怪しむに足らず。ついには遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少なからず。>>かかる愚民を支配するにはとても道理をもって諭(さと)すべき方便なければ、ただ威をもって畏(おど)すのみ。>西洋の諺(ことわざ)に「愚民の上に苛(から)き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災(わざわい)なり。>愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。>仮りに人民の徳義今日よりも衰えてなお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴(おもむ)くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。>法の苛(から)きと寛(ゆる)やかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪(にく)む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。>今の世に生まれ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配あるにあらず。ただその大切なる目当ては、この人情に基づきてまず一身の行ないを正し、厚く学に志し、博(ひろ)く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はその政(まつりごと)を施すに易(やす)く、諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとするの一事のみ。
日本は与党の国会議員様が立憲主義を否定する有様なわけですが……
っと、横レスしつれー
その通り。だから早く憲法を改正しよう。
そもそも「義侠」という言葉があり、仏教という自己を高める類の宗教が存在し、文盲が少なく、天災が多いせいで団結力があり(略)な日本と比べられたらほとんどの国とは比較にならん。
#つーより、日本程度に広くもなく狭くもなくかつ陸で隣接していない強大な隣国があるという環境が少ないというべきか。#そういう意味で日本はファンタジーの塊、魔法剣士なサムラァイやスピリットテーカーなニンジャがいると思われるのもおかしくない
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
短絡的かも (スコア:4, すばらしい洞察)
> ナチズムより桁違いに巨大な惨禍を人類に与えた「Manifest der Kommunistischen Partei(共産党宣言)」は、
なんか、イスラム過激派が悪いことしているからって、コーランが悪いというのと五十歩百歩な飛躍だな。
Re: (スコア:0)
コーランは知りませんが、暴力革命とプロレタリア独裁を煽る共産党宣言は悪いでしょう。
# 旧約聖書…
Re: (スコア:0)
>暴力革命とプロレタリア独裁を煽る共産党宣言は悪いでしょう。
と言えるほど平和な世の中になりましたね。
共産主義自体は好きではないので、それへの擁護ではないよと付け加えた上で、
歴史を振り返ると、民衆の不満による「非合法な暴力や活動」が無かったら、
近代の民主主義自体が存在しなかったと思う。
Re: (スコア:0)
そうは思いませんけどね。近代の主義は啓蒙思想こそが本質なわけで、啓蒙専制君主を通した近代化は十分可能でしょう。
Re: (スコア:0)
「近代の民主主義自体が存在しなかったと思う」とわざわざ「近代」を付けたのは、
古代のそれと一応区別しておきたかっただけです。
補足のキーワードにすぎず、元コメントの主題は「民主主義政体」です。
「近代化は君主制でもできた」とか、妙な返しをされると返答に困ります…
Re: (スコア:0)
ヨーロッパでは、啓蒙思想より前に「国王は君臨すれども統治せず」という黄金の自由 [wikipedia.org](貴族民主主義)の政体を取るポーランド・リトアニア共和国がありました。
そして、それは、イギリス国王のジョージ1世 [wikipedia.org]にも引き継がれ、立憲君主制が定着しはじめました。
貴族民主主義が啓蒙専制君主を通して近代の民主主義となることは十分可能でしょう。
Re: (スコア:0)
こういったピンポイントな事例を例示しなくてはならない点で、逆に既得権側が自らの権利を
捨てて、一般民衆に権利を付与することの難しさ、稀なことを表しているように思います。
民主主義、身分制廃止、男女平等、その他もろもろ、今、当たり前に享受しているものの
多くは、先人たちの膨大な血と涙と汗が流された結晶だと合点できるはずなのですが、
呑気に「十分可能でしょう」などという発言からは、そういった努力は無駄だと言っている
ように聞こえてしまうのですが…
Re:短絡的かも (スコア:0)
と言われても、江戸時代に民営の寺子屋が流行って就学率の高い状態にあり、貝原益軒の唱えによって女子教育(といっても儒学を基にしたもの(女大学 [wikipedia.org])ですが)が広まっており、明治時代に五箇条の御誓文で近代化を成し遂げた日本にとっては、ピンと来ないんですよね。
西洋論者の福澤諭吉ですら、下のような感じ。
学問のすすめ
http://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/47061_29420.html [aozora.gr.jp]
>昨今の有様を見るに、農工商の三民はその身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並ぶるの勢いに至り、今日にても三民のうちに人物あれば政府の上に採用せらるべき道すでに開けたることなれば、よくその身分を顧み、わが身分を重きものと思い、卑劣の所行あるべからず。
>およそ世の中に無知文盲の民ほど憐(あわ)れむべくまた悪(にく)むべきものはあらず。智恵なきの極(きわ)みは恥を知らざるに至り、己(おの)が無智をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずしてみだりに傍(かたわら)の富める人を怨み、はなはだしきは徒党を結び強訴(ごうそ)・一揆(いっき)などとて乱暴に及ぶことあり。
>恥を知らざるとや言わん、法を恐れずとや言わん。天下の法度(ほうど)を頼みてその身の安全を保ち、その家の渡世をいたしながら、その頼むところのみを頼みて、己が私欲のためにはまたこれを破る、前後不都合の次第ならずや。
>あるいはたまたま身本(みもと)慥(たし)かにして相応の身代ある者も、金銭を貯(たくわ)うることを知りて子孫を教うることを知らず。教えざる子孫なればその愚なるもまた怪しむに足らず。ついには遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少なからず。
>
>かかる愚民を支配するにはとても道理をもって諭(さと)すべき方便なければ、ただ威をもって畏(おど)すのみ。
>西洋の諺(ことわざ)に「愚民の上に苛(から)き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災(わざわい)なり。
>愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。
>仮りに人民の徳義今日よりも衰えてなお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴(おもむ)くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。
>法の苛(から)きと寛(ゆる)やかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪(にく)む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。
>今の世に生まれ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配あるにあらず。ただその大切なる目当ては、この人情に基づきてまず一身の行ないを正し、厚く学に志し、博(ひろ)く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はその政(まつりごと)を施すに易(やす)く、諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとするの一事のみ。
Re: (スコア:0)
日本は与党の国会議員様が立憲主義を否定する有様なわけですが……
っと、横レスしつれー
Re: (スコア:0)
その通り。
だから早く憲法を改正しよう。
Re: (スコア:0)
そもそも「義侠」という言葉があり、仏教という自己を高める類の宗教が存在し、文盲が少なく、天災が多いせいで団結力があり(略)
な日本と比べられたらほとんどの国とは比較にならん。
#つーより、日本程度に広くもなく狭くもなくかつ陸で隣接していない強大な隣国があるという環境が少ないというべきか。
#そういう意味で日本はファンタジーの塊、魔法剣士なサムラァイやスピリットテーカーなニンジャがいると思われるのもおかしくない