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なぜ他人にだけ要求するんですか?
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私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson
真の文化の発展に寄与することを目的とした著作権法を考えてみる (スコア:1, 興味深い)
ただし、再配布時の改変などは認められない。
絶版などの結果、無料で再配布されている著作物は、著作権利者と契約を結び新たに販売することもできるが、
無料での再配布は契約の影響を受けずに続けられる。
ありえないが、こんな著作権だと嬉しいな。
今の著作権だと絶版にされてしまったら、そのまま消えてゆき再び日の目を見るのは何十年後なんて悲しすぎる。
すべてをデジタルで保存できるようになれば、実現できないかな。
会社が倒産したときとか思いっきりややこしそうだが…
と、素人が妄想してみた。
Re: (スコア:2, すばらしい洞察)
出版社が独占的な権利を持っているのも、海賊版が横行すると流通ルートが維持できなくなり、著作物を広めることができなくなるから。
ところが、デジタル複製技術とネットーワーク技術の進歩で、流通させるだけならほとんどコストをかけずに済むようになった。つまり、もともとの大前提である「流通ルートの保護」の必要性がどんどん低下している。
これから必要になるのは、流通ルートの保護ではなくて「著作物を評価してそれを著者にフィードバックさせる仕組み」になるはずです。フィードバックは必ずしも金銭によるものである必要はないし、方法論もいくつもあるでしょう。
デジタルアーカイブ技術を活用してそういう仕組みを作るというのは、急には無理でしょうけど一つの方法論としては決して間違ってはいないと思います。
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Re: (スコア:0)
手持ちの購入曲でも「The Bee Gees」やら「Shakatak」やらマイナーとは言えないアーティストでも配信終了されてるものがある。
物的流通より「少しだけ」閾値が低い。それだけのことだ。
Re: (スコア:1)
著作権法の理念は著作物を通しての文化の発展。著作権法で出版権、著作隣接権等で流通事業者に権利が認められているのは、著作物を広めることのできる存在が商業流通以外になかったからなんだけど、今はそうじゃない。
確か
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Re: (スコア:-1, フレームのもと)
たとえばあなたが権利者から権利を取得してYouTubeなりMySpaceなりにアップロードすればいいじゃないか。
あなたの主張が世の中に受け入れられるものであれば、寄付でも募ってやっていけるでしょ?
#寄生虫のような発想はやめなさいってば
Re: (スコア:1)
私が説明しているのは「流通させるだけなら必要なコストは劇的に少なくなっている」という事実と実例であって、商売が成り立つとはだれも言ってない。
むしろ、今のままだとそれが成り立たないから著作者にちゃんと対価がフィードバックされるように著作権法で支援すべきと言っている。
#今何の話をしているか理解してますか?
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Re: (スコア:0)
なぜ他人にだけ要求するんですか?
文化は権利者だけで作り上げるものじゃないですよ。
Re:真の文化の発展に寄与することを目的とした著作権法を考えてみる (スコア:1)
誰が何を著作者に要求したのか書いてないので、どう誤読したのかはわからないが、とりえあず著作者や権利者に何かを要求した覚えはないので、あなたの誤解と思われます。
いい加減説明するのもめんどくさいが、商業流通に頼らずに著作者の意思で著作物を頒布する方法とそのコストについて実例を挙げて説明しただけであって、著作者がそうすべきとか商業流通をなくせなどという主張は一切していない。
誤読するところまではしょうがないとして、批判めいたコメントを書く前にもうちょっと意見の本質を読み取る努力をしたあとくらいは示すか、理解できた話題にのみコメントするように心がけていただきたい。
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Re: (スコア:0)
ご自分でやろうともしないで、夢物語だけを書き連ねるのはなぜですか?
と再三にわたって質問してるのですが?
Re:真の文化の発展に寄与することを目的とした著作権法を考えてみる (スコア:1)
まず、ひとつめは、権利者が複数居るということ。例えば小説の場合だと、たいていの場合著作者本人と出版社の両方が権利を持っており、第三者が権利を買い取るためには両方に対して交渉をする必要がある。特に出版社の方が問題。出版社が扱っている作品というのは多数あり、個別作品ごとの契約を一個人が買い取るようなケースを想定した権利の管理は行っていない。
そういう状況で第三者が特定の作品のみの権利の買い取りを申し出た場合、出版社は「門前払い」します。つまり、そういう売り方はしてないから断ります、となる。吉野家に行って「テラ豚丼ください」と言っても出してくれないのと同じレベルの話。
もし、出版社自体が倒産していたりすると、出版社の権利は債権者に売りさばかれて居る可能性があり、全ての権利者の所在を探し出すだけでも一苦労になります。夜逃げ的に社長が逃げ出している場合など、著作者本人すら出版権が誰にあるのかすら知らないなんてケースもあるようです。
二つめは、ネットで公開することは書籍を販売することとは法的な扱いが違うという点。一般的に書籍で問題になるのは複製権だが、ネットで公開する場合はさらに公衆送信権が問題になる。つまり、サーバスペースに複製するのと、それを公開するのとは全く別の権利処理をしないといけない。
例えば、公開した書籍の中に歌の歌詞などが含まれていた(出版に当たってJASRAC許諾済み)場合、公開者である私もJASRACと契約しなければならない。もちろん、JASRACとの契約は買い取って終わりというわけにはいかないので、継続的に支払いが発生することになるし、報告義務も生まれる。寄付を募る場合だとそれは営利行為と認定されてしまうので、契約的にはかなりややこしいことになるはず。もちろん、作詞者本人とも個別交渉が必要になります。
歌詞でなくとも、著者もしくは出版社が「書籍に使用しますよ」と許諾を撮った著作物の二次使用の数だけ、再度権利交渉をしないといけない。これらの権利者を捜す手間もあるし、その中のどれか一つでも交渉が失敗すれば公開することはできません。今のところ、公衆送信権は二次権利者も完全拒否権を持つので、お金で解決できるとも限りません。
著作権だけの問題ではなく、例えば人の写真が掲載されていた場合は肖像権も関わってきます。
これらの問題を一つ一つ解決していく人的コストと、公開にあたって発生する権利処理コストは、どう考えても一個人やボランティアでまかなえるものではありません。さらにそこから著作者へのフィードバックを考えるなんて、はっきり言ってしまえば著作権法改正よりもよほど夢物語です。
これらの問題が簡単にクリアできるのであれば、今頃電子書籍販売サイトのラインナップはamazonをはるかに凌駕しているはずです。ちょっと考えれば当たり前に分かることだと思うんですが、自分がどんな無茶を言っているか、いちいち説明しないと分かりませんか?
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