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適法なのにPCで録画可能な地デジチューナは録画したPCでのみ視聴可能という糞仕様何とかならんのか
#自分はTSで抜いてCMカットして見てるから実は関係ないんですがね
ディスクが手狭になったとき、2TBとか大きなHDDを買って移行できるか?同一PCでも別ドライブにコピーしたら再生できなくなる製品があると聞いたが。Windowsを再インストールしても問題ないか?そもそも、PCがぶっ壊れちまったらどうすんだ?って話だ。
そんなに重要なコンテンツって普通別媒体で流通してるんじゃ。もしくは自分で撮影した唯一無二のコンテンツなら、コピーも編集も自由にできるんじゃないのかと。
#ラピュタのTV録画とかをメディアコンバート繰り返して保存するより素直にDVD買った方が早いんだよな・・。
>そんなに重要なコンテンツって普通別媒体で流通してるんじゃ。
いいえ。例えば過去の歴史を研究する上で、有名な作品と無名な作品の重要度は全く変わりません。ある時代の検証を行うためには、有名な作品のみならず、その時代に記されたどのようなものであっても重要な資料となりえます。全く売れなかった小説であろうとも、ニュース番組・記録映画の類であろうとも、チラシの裏の子供の落書きも、箸袋への印刷であっても。
そして、現代においては出版物の類においては国会図書館への納本を行う事が義務付けられていますので、たとえ絶版になったとしても、国会図書館などの図書館から複写を行い、研究資料としての活用を行う事が期待できます。ですが、映像作品についてはまだまだそのような形で、公に閲覧可能なアーカイブというのは存在していません。NHKは公開アーカイブを進めていますが、これも閲覧は可能ですが、複製は(今のところ)許可されていません [nhk.or.jp]。
これら資料の保存を担保するのは、映像作品については個人のアーカイブに頼らざるを得ないのが現状です。特にテレビ番組は、頒布や公開されたアーカイブの提供などが少なすぎて、近年家庭用の録画機器の高度化によって、ようやく出来るようになった研究、というのも多々あるのではないでしょうか。しかしその研究も、ダビング10などDRMという障害によって、これから先の多難が予期されます。
実際のところ、文化を本当に残すのは、きちんとした公的組織などによるアーカイブを除けば、好事家のコレクションに頼らざるを得ない部分が大きいです。実際つい最近まで、まともに番組のアーカイブを残していたテレビ局も多くはなく、ラジオにいたってはどうなんですかね。87年まで放送していたNHKの「サウンドストリート」ですら、「NHKでは当時のテープがほぼ残っていないため、音源は関係者やリスナーが“エアチェック”したテープの提供を受けて配信しているという」 [impress.co.jp]という状態だそうですから。
NHKですらこれです。営利企業にいたっては、文化の担い手としてきちんとした状態である、とはとても言える状態ではありません。またそれを責めることは絶対にできない。営利企業は当然営利を目的としている企業なのであり、文化を残すのが目的の企業ではないのです。営利を目的とした企業からすれば、当然DRMは掛けることを求め、手に入らない映像資料は「売れるものに限っては」何度でも売りつけようとするでしょう。それは営利企業としては正しいあり方だと思う。
ですが、その方法では、貴重な資料が数限りなく失われていきます。
ではどうすればいいのか。これまではDRMの事をあまり厳密に考慮しなくても、資料の保存をすることは可能でした。しかしこれからはDRMを考慮した資料の保存をしなければいけません。デジタルな記録媒体では、容易に経年劣化によって資料が毀損していくことになります。紙なり、まぁせめてビデオテープレベルであれば、やろうと思えば資料がぼろぼろでも読み取りを試みることは可能でしょうが、デジタルな媒体では少しの破損が大きく状態に影響することになります。好事家による資料の保管にも、限度が出てきます。
道はいろいろ考えられると思いますが、まずはDRMを外すことを私的複製の範囲であれば認めるべきでしょう。海賊版を扱う業者は、どうせDRMがかかっていても違法であろうがそもそも目的が違法なのだから、そんなものは解除をするわけです。解除できない完全なDRMなどありえない、ということは、まぁスラド読んでる読者なら理解してますよね。また、そもそも「あらゆるDRMは(少なくとも現状では)文化の発展に全く寄与しない」という事を認識する必要があります。
そうでなければ、各放送局にはアーカイブの構築と保存、公開を義務付けるべきです。これは無責任なマスコミの報道への抑制にも繋がります(ようやく最近、かつて不可能だったマスコミの報道への反論が、ネットという手段によって可能になってきたわけですが、それには各種報道の検証のための引用が不可欠です。DRMはそれらも困難にします)。当然公開には、図書館と同程度の複製の請求は可能とするべきでしょう。もしくは、国会図書館への放送の完全納品、もちろんDRMを解除したもの、を行うという事でもかまいません。
今回のトピックのケースも、私的複製としてのこのサービスはDRMが無いからこそ可能となっているわけで、これらをDRMによって縛ってしまうのはどうかと思いますね。
#研究は各権利者の合意の下で行えばいいじゃないか!という反論が予想されますが、それはありえません。なぜなら、研究はその権利者に好意的なものだけであるとは限らないからです。特にその権利者に対しての反論を展開しようとするときには、です。であるからこそ、図書館では権利者の同意なく複写の提供が行えなければならないのです。
##参考資料、読んでみて欲しいものを幾つか挙げておきます。「テレビ五十年と番組保存 [asahi-net.or.jp]」「映画やテレビ番組、どう保存するか 国際シンポ [asahi.com]」「Wikipedia:井戸端/subj/テレビ番組は検証可能な情報源なのか [wikipedia.org]」
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ハッカーとクラッカーの違い。大してないと思います -- あるアレゲ
私的複製は適法 (スコア:0)
適法なのにPCで録画可能な地デジチューナは録画したPCでのみ視聴可能という糞仕様
何とかならんのか
#自分はTSで抜いてCMカットして見てるから実は関係ないんですがね
Re:私的複製は適法 (スコア:0)
Re: (スコア:0)
ディスクが手狭になったとき、2TBとか大きなHDDを買って移行できるか?
同一PCでも別ドライブにコピーしたら再生できなくなる製品があると聞いたが。
Windowsを再インストールしても問題ないか?
そもそも、PCがぶっ壊れちまったらどうすんだ?って話だ。
Re: (スコア:0)
そんなに重要なコンテンツって普通別媒体で流通してるんじゃ。
もしくは自分で撮影した唯一無二のコンテンツなら、コピーも編集も自由にできるんじゃないのかと。
#ラピュタのTV録画とかをメディアコンバート繰り返して保存するより素直にDVD買った方が早いんだよな・・。
Re:私的複製は適法 (スコア:3, 参考になる)
>そんなに重要なコンテンツって普通別媒体で流通してるんじゃ。
いいえ。例えば過去の歴史を研究する上で、有名な作品と無名な作品の重要度は全く変わりません。
ある時代の検証を行うためには、有名な作品のみならず、その時代に記されたどのようなものであっても重要な資料となりえます。全く売れなかった小説であろうとも、ニュース番組・記録映画の類であろうとも、チラシの裏の子供の落書きも、箸袋への印刷であっても。
そして、現代においては出版物の類においては国会図書館への納本を行う事が義務付けられていますので、たとえ絶版になったとしても、国会図書館などの図書館から複写を行い、研究資料としての活用を行う事が期待できます。ですが、映像作品についてはまだまだそのような形で、公に閲覧可能なアーカイブというのは存在していません。NHKは公開アーカイブを進めていますが、これも閲覧は可能ですが、複製は(今のところ)許可されていません [nhk.or.jp]。
これら資料の保存を担保するのは、映像作品については個人のアーカイブに頼らざるを得ないのが現状です。特にテレビ番組は、頒布や公開されたアーカイブの提供などが少なすぎて、近年家庭用の録画機器の高度化によって、ようやく出来るようになった研究、というのも多々あるのではないでしょうか。しかしその研究も、ダビング10などDRMという障害によって、これから先の多難が予期されます。
実際のところ、文化を本当に残すのは、きちんとした公的組織などによるアーカイブを除けば、好事家のコレクションに頼らざるを得ない部分が大きいです。実際つい最近まで、まともに番組のアーカイブを残していたテレビ局も多くはなく、ラジオにいたってはどうなんですかね。87年まで放送していたNHKの「サウンドストリート」ですら、「NHKでは当時のテープがほぼ残っていないため、音源は関係者やリスナーが“エアチェック”したテープの提供を受けて配信しているという」 [impress.co.jp]という状態だそうですから。
NHKですらこれです。営利企業にいたっては、文化の担い手としてきちんとした状態である、とはとても言える状態ではありません。またそれを責めることは絶対にできない。営利企業は当然営利を目的としている企業なのであり、文化を残すのが目的の企業ではないのです。営利を目的とした企業からすれば、当然DRMは掛けることを求め、手に入らない映像資料は「売れるものに限っては」何度でも売りつけようとするでしょう。それは営利企業としては正しいあり方だと思う。
ですが、その方法では、貴重な資料が数限りなく失われていきます。
ではどうすればいいのか。これまではDRMの事をあまり厳密に考慮しなくても、資料の保存をすることは可能でした。しかしこれからはDRMを考慮した資料の保存をしなければいけません。デジタルな記録媒体では、容易に経年劣化によって資料が毀損していくことになります。紙なり、まぁせめてビデオテープレベルであれば、やろうと思えば資料がぼろぼろでも読み取りを試みることは可能でしょうが、デジタルな媒体では少しの破損が大きく状態に影響することになります。好事家による資料の保管にも、限度が出てきます。
道はいろいろ考えられると思いますが、まずはDRMを外すことを私的複製の範囲であれば認めるべきでしょう。海賊版を扱う業者は、どうせDRMがかかっていても違法であろうがそもそも目的が違法なのだから、そんなものは解除をするわけです。解除できない完全なDRMなどありえない、ということは、まぁスラド読んでる読者なら理解してますよね。また、そもそも「あらゆるDRMは(少なくとも現状では)文化の発展に全く寄与しない」という事を認識する必要があります。
そうでなければ、各放送局にはアーカイブの構築と保存、公開を義務付けるべきです。これは無責任なマスコミの報道への抑制にも繋がります(ようやく最近、かつて不可能だったマスコミの報道への反論が、ネットという手段によって可能になってきたわけですが、それには各種報道の検証のための引用が不可欠です。DRMはそれらも困難にします)。当然公開には、図書館と同程度の複製の請求は可能とするべきでしょう。もしくは、国会図書館への放送の完全納品、もちろんDRMを解除したもの、を行うという事でもかまいません。
今回のトピックのケースも、私的複製としてのこのサービスはDRMが無いからこそ可能となっているわけで、これらをDRMによって縛ってしまうのはどうかと思いますね。
#研究は各権利者の合意の下で行えばいいじゃないか!という反論が予想されますが、それはありえません。なぜなら、研究はその権利者に好意的なものだけであるとは限らないからです。特にその権利者に対しての反論を展開しようとするときには、です。であるからこそ、図書館では権利者の同意なく複写の提供が行えなければならないのです。
##参考資料、読んでみて欲しいものを幾つか挙げておきます。
「テレビ五十年と番組保存 [asahi-net.or.jp]」
「映画やテレビ番組、どう保存するか 国際シンポ [asahi.com]」
「Wikipedia:井戸端/subj/テレビ番組は検証可能な情報源なのか [wikipedia.org]」