アカウント名:
パスワード:
たとえば、クラシック音楽はおそらく一度も「商業」ベースに乗ったことがない。民族音楽も商業的な理由で演奏されるのではない。酒場でブルースを歌うオヤジは金のために演奏したかも知れないが、それが産業と言えるものでなかったのは確かだ。
20世紀に隆盛をきわめた商業音楽/音楽産業は音楽にとって必須形態ではないし、それによって音楽が素晴しくなったとも言えない。産業化されたことによって生れたタイプの音楽もあるにはあるが、それがなかったからといって人々の暮らしが貧しくなるとは思わない(まあ、カラオケやドームコンサートの類は人々の心を産業的な方法で豊かにしたかも知れぬ)。
レコード/ラジオの普及で伝統芸能が少なからず影響をこうむったことを思えば、インターネットの普及で音楽産業が影響をこうむって何が悪かろうか。自分たちだけは保護されたいと思うのは、気持ちはわかるが、同情はできないな。
有史以降はあっちこっちで演奏による対価の受け渡しってのは普通にありました。 所謂クラッシックってのも単純に演奏による対価は受け取ってたりしましたから、流石に「商業」でないってのは有りえません。
メディアの販売を大規模にしてなかったってだけの話。
でも、メディア販売自体は無くともその方策としての楽器販売は有ったんで商業的音楽ってのは昔からのものです。
ここでは「商業」という言葉を、単に音楽によって得られる対価の有無という意味では使っていません。
ここで「商業」ベースと言っているのは、いわゆる音楽産業からもたらされる収入をあてにして音楽をしているか? という観点においてです。
たとえば浜崎あゆみは音楽産業に依存したアーティストです(それが悪いと言っているわけではありません、念のため)。アイドル的なアーティストが富と大衆的な名声を得られればこそ、彼女はその道を選んだと言えると思います。彼女のようなタイプのアーティストは、音楽産業の衰退の影響を受けるでしょう。
ひるがえって交響楽団はどうでしょうか? 交響楽団の収入は、政府・自治体からの補助金なり、企業・資産家からの寄付に大きく依存しています。CDからの収入などは微々たるもので、逆に言えば音楽産業が衰退してもほとんど影響を受けません。今あるクラシック音楽の形態はバロック時代からのものだと思いますが、当時は王族・貴族たちが音楽家を支え、鑑賞していたわけで、そこに「音楽産業」があったとは言えません。レコード時代になってからも、カラヤンやバーンスタインがレコード売り上げを大きく伸ばしたことはありましたが、その活況によって新しい交響楽団が次々編成されたということはなかったと思います(コロンビア楽団のようなレコード録音用の楽団が誕生したことはありますが、そうした試みが「商業的」に隆盛をきわめたことはないでしょう)。
音楽が儲かるようになったおかげで進歩した分野はいろいろとあると思います。ただ、音楽が儲かってなければ、別の分野が進歩したかも知れないわけで、今ある形態の音楽産業を一途に守る必要はないんじゃないか、と。
なるほど、興味深いです。
もともと音楽産業自体が大衆的なニーズ(ホームパーティーの際、ピアノでダンスミュージックを演奏するための「楽譜」が必要だった)に端を発するもので、言わば自然発生的なものであったし、その後も音楽の普及・発展に際して大きな貢献のあったことは認めます。
しかし、その貢献に感謝し、敬意を払って、音楽産業の存続に積極的に協力したいかというと、僕はそうは思わないですね。
音楽産業が育てたものもあれば、葬ってきたものもあるわけで、すべては自然の成り行きというものだと思います。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
音楽産業が死滅しても、音楽は残る (スコア:4, すばらしい洞察)
たとえば、クラシック音楽はおそらく一度も「商業」ベースに乗ったことがない。民族音楽も商業的な理由で演奏されるのではない。酒場でブルースを歌うオヤジは金のために演奏したかも知れないが、それが産業と言えるものでなかったのは確かだ。
20世紀に隆盛をきわめた商業音楽/音楽産業は音楽にとって必須形態ではないし、それによって音楽が素晴しくなったとも言えない。産業化されたことによって生れたタイプの音楽もあるにはあるが、それがなかったからといって人々の暮らしが貧しくなるとは思わない(まあ、カラオケやドームコンサートの類は人々の心を産業的な方法で豊かにしたかも知れぬ)。
レコード/ラジオの普及で伝統芸能が少なからず影響をこうむったことを思えば、インターネットの普及で音楽産業が影響をこうむって何が悪かろうか。自分たちだけは保護されたいと思うのは、気持ちはわかるが、同情はできないな。
Re:音楽産業が死滅しても、音楽は残る (スコア:1)
仮に音楽が一切金儲けにつながらなくなったとしても、自分の想いを音にのせて人々に伝えたい奴はいくらでも出てくるはず。いや、かえって「安直に有名になりたい」「楽に一発当てたい」って大半の輩がフィルタリングされるので、結果として質が上がるかも知れませんね。
Re: (スコア:0)
レコード盤の録音可能時間に合わせて曲の長さが決まり、ラジオで流しまくって人々に「いい曲だ」と勘違いさせる時代は終わりでしょう。
昔RCサクセションが、「レコードなんてチラシみたいなもんだ」と言っていた(つまりライブが本質だと)。
音楽作業は何かそういう違う価値観でビジネスモデルを模索していかないとダメなんじゃないかな。
Re: (スコア:0)
今になってみると、いかに異常だったかが分かります
Re: (スコア:0)
それは嘘ですよね。
有史以降はあっちこっちで演奏による対価の受け渡しってのは普通にありました。
所謂クラッシックってのも単純に演奏による対価は受け取ってたりしましたから、流石に「商業」でないってのは有りえません。
メディアの販売を大規模にしてなかったってだけの話。
でも、メディア販売自体は無くともその方策としての楽器販売は有ったんで商業的音楽ってのは昔からのものです。
Re:音楽産業が死滅しても、音楽は残る (スコア:3, すばらしい洞察)
ここでは「商業」という言葉を、単に音楽によって得られる対価の有無という意味では使っていません。
ここで「商業」ベースと言っているのは、いわゆる音楽産業からもたらされる収入をあてにして音楽をしているか? という観点においてです。
たとえば浜崎あゆみは音楽産業に依存したアーティストです(それが悪いと言っているわけではありません、念のため)。アイドル的なアーティストが富と大衆的な名声を得られればこそ、彼女はその道を選んだと言えると思います。彼女のようなタイプのアーティストは、音楽産業の衰退の影響を受けるでしょう。
ひるがえって交響楽団はどうでしょうか? 交響楽団の収入は、政府・自治体からの補助金なり、企業・資産家からの寄付に大きく依存しています。CDからの収入などは微々たるもので、逆に言えば音楽産業が衰退してもほとんど影響を受けません。今あるクラシック音楽の形態はバロック時代からのものだと思いますが、当時は王族・貴族たちが音楽家を支え、鑑賞していたわけで、そこに「音楽産業」があったとは言えません。レコード時代になってからも、カラヤンやバーンスタインがレコード売り上げを大きく伸ばしたことはありましたが、その活況によって新しい交響楽団が次々編成されたということはなかったと思います(コロンビア楽団のようなレコード録音用の楽団が誕生したことはありますが、そうした試みが「商業的」に隆盛をきわめたことはないでしょう)。
Re: (スコア:0)
オレ定義の「商業」や「音楽産業」ってキーワードで立論する限り、単なるトートロジーでしかないですね。
次々と後出し条件で制限していくわけだから、そりゃオレ「商業」には当てはまらないんでしょうが、
結果として何も語っていないに等しい。
とりあえず、
現代ではクラブ活動ベースでの演奏家だけが残って細々とやっていけばよい
ってことがいいたいと理解しましたが、それでいいですか?
作曲・作詞などの新しい曲の生み出しについては何も語っていないし、
あなたが「交
Re: (スコア:0)
あれだけハイトーンでないとバックのパワフルな演奏に負けてしまうからだった。
レコーディング技術は誕生以来音楽とずっと両輪の関係で発展してきたものだし
音楽産業が「儲かる」分野であったが故、これほどに発達したのだ
という話をオレはここSlashdot Japanで見たなあ。
#まともな人はとっくにこういうストーリーはスルーしてるってことか。
#無知同士でなんか言ってなさいよと。
Re:音楽産業が死滅しても、音楽は残る (スコア:1)
音楽が儲かるようになったおかげで進歩した分野はいろいろとあると思います。ただ、音楽が儲かってなければ、別の分野が進歩したかも知れないわけで、今ある形態の音楽産業を一途に守る必要はないんじゃないか、と。
Re:音楽産業が死滅しても、音楽は残る (スコア:2, 興味深い)
遠い異国のフォークミュージックを日本で耳にする可能性は
ほとんどゼロだったんじゃないかな。
局所的に盛り上がるムーブメントも結局
メジャーに拾い上げられて初めて世界的な認知を得てきたわけだし。
聴くことができたからこそそれにインスパイアされたアーティストも出ることができた。
地球の裏側の名手を知ることもできた。
ミュージシャンになることが「一攫千金の手段」でなければ
ブラックサバスの連中もバーミンガムでずっと工員してただろう。
(彼らは「貧乏人で終わるしかない境遇」から抜け出せないかと楽器を手に取った)
20世紀以降生まれた音楽で、
そういう意味で音楽業界の恩恵を得ていないものってほぼ皆無だと思う。
ついでに、音楽鑑賞なる行為がこれほど一般化することもなかったろうね。
動画サイト他で「売買を介さない」音源を発表することで
「音楽業界なんていらないもん!」と息まく人たちは
「音楽を聴く」という当たり前の文化が、音楽業界によって全世界的に定着するに至った
その、ある意味とんでもない「功績」を考えてみたことがないのだろう。
そういう下地まったくなしでも、あなたがたはその曲をつくることができましたか?
音楽を聴く文化を持たない世界であっても、その曲があれほど人に愛されたという自信がありますか?
てなもんで。
インターネットによって、レコード会社が取ってきた流通形態が死に絶えるかどうかは別問題として
今あなたがたが当たり前に聴いている音楽が、どういう経緯をとり、どれだけの人の手にかかり
どういう聴かれ方をして届いたものなのか、そういう想像力は必要だと思うし
そんな想像力が働いて二乗も三乗もされるのが音楽の魅力ではなかったかな。
いろんな楽器が生まれたり、世界の出来事が反映されちゃったり、そういう流れの中で
音楽なんてものは変遷してきたし、行くものなんじゃないかな。
悪いけどそんなわけで、今ある音楽を愛しちゃってる自分は
これまであった流れをなかったことにできる「音楽ファン」がいるとは思えないし
音楽が好きでもない連中が消費者運動かなにかのように音楽を語るのを笑顔で見るなんてできんわ。
Re:音楽産業が死滅しても、音楽は残る (スコア:1)
なるほど、興味深いです。
もともと音楽産業自体が大衆的なニーズ(ホームパーティーの際、ピアノでダンスミュージックを演奏するための「楽譜」が必要だった)に端を発するもので、言わば自然発生的なものであったし、その後も音楽の普及・発展に際して大きな貢献のあったことは認めます。
しかし、その貢献に感謝し、敬意を払って、音楽産業の存続に積極的に協力したいかというと、僕はそうは思わないですね。
音楽産業が育てたものもあれば、葬ってきたものもあるわけで、すべては自然の成り行きというものだと思います。
Re:音楽産業が死滅しても、音楽は残る (スコア:1)
#「同情したら俺たちが損をする」って思われ始めたら、もう何もかも止められないと思う
=-=-= The Inelegance(無粋な人) =-=-=