スウェーデン当局、「情報の複製は宗教ではない」との判断を下す 85
ストーリー by hylom
まずは宗教の定義から 部門より
まずは宗教の定義から 部門より
あるAnonymous Coward 曰く、
スウェーデン当局は「情報の複製」を教義とするMissionary Kopimistsamfundet (Missionary Church of Kopimism) に対し「宗教ではない」との判断を下したそうだ(UPI.com、本家/.)。
この宗教は情報の複製と共有を世界で最も美しい行為として信奉しているとのこと(/.J過去記事)。
却下されたのは今回が初めてではなく、前回の却下理由に基づいた修正を加えた上での申請だっただけに教会関係者は落胆しているという。また、当局は今回の却下理由を明らかにしていないとのことだ。
本家/.では「誰しもがイカレる権利(失礼、宗教を信奉する権利)があるはずだ。却下は意図的であり、偏見である。その宗教の歴史の有無などは問題にされるべきではない」との声も寄せられており、活発な議論となっている模様。
写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:4, すばらしい洞察)
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:3, おもしろおかしい)
「偶像崇拝も重要ですよねー」といったらこの宗教団体も必ず同意してくれると思います。
アキバ方面に向いて毎日お祈りとかしてないといいなー。
Re: (スコア:0)
アニオタの聖地はその時期流行っている萌えアニメによって変わりますので
そのたびに方角を調べるのは大変そうですね。
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:1)
それは「流行ってる聖地」が変わるんであって、聖地が変わるわけではないぞ。すなわち聖地は増え続ける。しかし信者という名のファンが滅ぶと聖地も省みられなくなり……あれ、ほんとに宗教だ。
LIVE-GON(リベゴン)
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:3, 興味深い)
写経は宗教的行為ですが、宗教そのものとは言いがたいと思います。 コピー機は宗教的な装置とは言いがたいですよね。
般若心経でも聖書でもコーランでも正法眼蔵でも何でもいいですが、 本当にただ意味も分からず、純粋に作業としてコピーしているだけなら、 それは宗教とは言わないと思います。写経には苦行としての意味合いもあるのかもしれませんが、 そこには経典の意味の読み取りが必要であるし、自分なりの読み替えが必要かもしれない。 やはり経典から宇宙の真理なり人生の意味なり道徳の真実なりを読み取って初めて宗教的となる、と。
そして、これだけ印刷技術、情報技術が発達している今日にあって、 宗教が「情報の複写」に依存しているというのは信じがたい。 それが今日でも本当ならば、あらゆる宗教があまねく流布していてもおかしくないです。 必要なのは何がしかの宗教的体験であり、人生が組み替えられる何かであり、 頭を殴られるような衝撃でしょう。 それはすでに情報の摂取とは別種の経験ではないか。
個人的には情報のコピーという形式だけを信奉すると言われても、それを宗教とは認め難いです。
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:3, すばらしい洞察)
>コピー機は宗教的な装置とは言いがたいですよね。
コピー機や印刷機は宗教的な装置とは言いがたいのには同意だが、
「印刷機の発明により聖書のコストが下がり、貧困層にも聖書が普及するようになった」
みたいな話を昔聞いたことを思い出した。
写経が重要だったのは、そうしないと聖書などの書籍を生産し、入手する
方法がなかったからというのも大きいと思う。
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:1)
仏教で「他力本願」と言われる物は、何も考えず「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで救われるとする。
唱えることが出来ないなら「書き写す」でも「書いたものを回す」でも可。
何も考えずに情報のコピーだけで宗教が成り立ってる。
むしろ、コピーだけするってのは「何も考えない」ための手段だと思うけどね。
直接に「何も考えない」を追求すると禅宗。
the.ACount
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:2)
====================================
重力オチになってない……ごめんなさいごめんなさい
fj.jokes出身:
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:2)
wikipediaの マニ車の項 [wikipedia.org]によれば、
回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされている。
となっていて、マニ車はコピー機みたいなものではなくて、 手で回転させるものだと思うんですが、違うんですかね。 そこは譲ってマニ車がコピー機のような何かだとして、 書いてあるのがマントラではなくて「おいしいチャーハンの作り方」とか 「アフェリエイトで月100万円稼ぐ方法」とか 「今年の夏の愛されワンピ」みたいな内容だったとして、 果たしてそのような情報のコピーを宗教とよべるのか? というのが問いですね。
文字や言語が宗教的かという問いは即断しがたいが、 コピー機が宗教的かという問いに、私は自信をもってNoと言える。 しかし、人間が何か宗教的意図をもって経典をコピー機でコピーしていたら、 それは宗教的です。当たり前ですが。
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:3, 興味深い)
では論点を明確にするために、独断的に直感的にいいます。
宗教とは、世界観であり、生死観である。
それは情報そのものではなくて、情報の読み方を与えるものである。
ある人にとって「どこどこで日食が起こった」という情報は、 単に太陽、月、地球が一直線になっただけかもしれないし、 他の誰かにとっては世界の終りを示す事象かもしれない。
情報の摂取は、宗教観や価値観の変更にはならない。
それはすでに規定された読み方に従って情報を解釈することだから。
生まれた時から宗教と共にある人は、親や周りの人から宗教観、世界観を受け継いでる。
経典を読み、解釈することは、宗教観、世界観の変更につながる。
それは情報の摂取とは別の経験である。
よって、情報のコピーそれ自体は宗教的ではない。単なる作業である。
必要なのは経典を読むなり説教を聞くなりして、 自分の中に世界観や生死観を構築することである。
そのようなある種の哲学がないものは宗教ではない。
従ってこのトピのスウェーデン当局の判断は正しい。
まあかなり独断と偏見にまみれててアレですが、言いたいことはこんなことです。
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:1)
「情報のコピーは宗教ではない」という認識は、あなた(あるいはスウェーデンの裁判官)の宗教観に基づく認識ですよね。
私の宗教観からすると、情報をコピーすること、情報を共有すること、っていうのは生命活動の根本たる生殖と同一視しうる行為です。複写という行為そのものに極めて崇高な宗教的意味があると私は考えます。
私のように才能もなく魔法使い街道まっしぐらな人間には、新たな生命も、新たな作品も生み出す事ができないのです。そのような人間にとって、自分の好きな情報(作品)を複写する行為は、自分という存在を文化的な意味で後世に残しうる数少ない活動なのです。
私の好きなものをコピーして人に伝えるという行為は、文化的自己の生殖活動であり、「『コピーして配布する』という宗教行為」そのものの布教活動でもあるわけです。
すなわち「複写し共有する」という活動は、宗教活動の本質であり、生命活動の本質なのです。
ここまで言っても、あなたは「やはりコピーは宗教とはいえない」と仰るかもしれませんが、私はそれでもかまいません。なぜなら私は誰がなんと言おうと、コピー行為が神聖な行為であると信じて疑うことはないからです。
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:2)
ここでちょっと著作権の話は置いておきましょう。
t_mrc-ctさんが仰るのは、コピー自体に興味があるのではなく、 好きな作品を他人に紹介したいのではないですか。 それは、オタク的な意味合いの布教であり、 宗教的な布教とかなり近い意味があるのではないですか。
ここで、「好きな作品を布教する」というのと、 「コピー自体が神聖である」というとでは、かなり意味が違うと思います。 つまり前者はコピーは手段であるのに対して後者はコピー自体が目的であるということです。 私は前者だったら理解できるのですが、後者は理解出来ないのです。
そして、ここからが本当に言いたいことですが、 私にはなにをいじけているのか分からない。 あなたはこうやって私の文章を読み、意味を理解し、 文章を書き込み、私に思いを伝えている。 意味のあるコミュニケーションを達成している。 少なくとも私はあなたの文章を読んで理解したし、こうやって返信するために 自分の時間を使っている。一体それ以上の何を望むというのでしょうか。
あなたの書いた文章は、あなたが著作権を持つ、世界に一つの創造物ですよ。 それは誰にも揺るがしがたい事実ではないのですか。 「電車男」の例を引くまでもなく、ある意味では2chが文学であるように、 このスラドだって文学ですよ。 他人が書いた文章を読み、理解し、自分で考えて、文字を書く、 それは昔から連綿と行われてきた、人間にしかできない、文化的活動なのではないのですか。 そうやって偉大な文学者たちや宗教者たちは、聖典を創り上げていったのではないのですか。
ちょっと熱くなりすぎたのでここら辺で終りにします。 参考文献として 佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」 [amazon.co.jp]を挙げます。 機会があったら読んでみてください。
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:2)
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:2)
うーん、あんまり話逸らしたつもりはなかったんですがねぇ。 むしろ「話がいい感じに深まってきたなあ」 なんて思いながら反論したつもりだったんですどね。
まず誤解を恐れず、結論を非常に短縮して申しますと、
「人は人生に意味を求める、真実を求める。だからこそ宗教が生まれる。だから、 人生は無意味だし真実など存在しないと言っている宗教は、存在自体が矛盾である」です。
確かに「情報の複製こそが生命の本質である。それこそが生命だ」 という世界観もありうるでしょう。 しかしその世界観からは、宗教は生まれてこない、と思うのです。 まず、話を戻して生命や知的生命の定義の話からしたいと思います。まずあなたは
宗教って人間が知的生物である事を特別扱いすることで成り立って居る所も少なくないです。
と書いた。これは私も同意するのです。だからこそ、知的生命とは何か、あるいは人間とは何か は宗教を考える上で重要な問いですし、生物とは何かも重要だと思うのです。 だから私はここにはこだわりたい。 あなたは「情報の複製こそが生命の本質である。」 という意味のことを書いた。それは部分的には同意します。 ですが、私はコンピューターウイルスは生命とは認めていませんし、 ウイルスも生命とは認めていません。 それは現在生物学で一般的な 生命の定義 [wikipedia.org]に、私も同意するからです。一応引用しておきましょう。
だから、生命を定義する上で、「情報を複製する存在」だけでは 足りないと思うし、知的生命を定義するには私はもっと高度なものを要求します。 人間は、世界を認識し、自分という存在を認識し、意味を認識し、情報を解釈できる。 だからこそ知的生命であると。 そしてさらに宗教的な人は、世界に、自分に何かの意味を求める。
だからこそ宗教が必要になると思うのです。 先の「情報の複製こそ生命の本質である」という世界観は、 私には我々一人ひとりの存在は無意味だ、と言っているように聞こえます。 それはそれで立派な哲学かもしれません。
しかしなぜそのように思っている人が布教するのか。 私にはその世界観は諦観とニヒリズムの表現に見える。 「世界や生物に意味などない。まして人間の存在に意味など存在しない。 道徳的な真実など存在しない」 と言っているように聞こえる。 真実が存在しないなら、個人の立場があるだけではないか? だったら原理的には客観的に正しい議論をしながら他人を説得するなんて言うのは、 主張している内容に真っ向から反対しているのではないのか? それは自己矛盾ではないのか?
人は誰もが認識するべき真実や人生の意味に に出会うからこそ、布教するのではないのか。 もしそれが存在しないと思うなら、他人の世界観、生命観に何を言う必要があるのか。 神でも大日如来でも涼宮ハルヒでも好き勝手なものを信じればいいではないか。
その態度は、私には「宗教的」とは程遠く見えるのです。
だからそんな宗教は存在しない、と思うのです。
いやーだいぶ認識が深まりました。 ここまで議論に付き合ってくださってありがとうございます。
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:2)
ありがとうございました。
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:1, 興味深い)
宗教が「情報の複写」に依存してきたのと同時に、
複写技術も「宗教の力」があってこそ発展したともいえるし、両者は不可分であったとは言えそう。
しかし、
日本では770年に100万巻印刷 [wikipedia.org]なのに
1455年に45部 [wikipedia.org]でしかないグーテンベルクが「活版印刷の発明者」として通っているのは
やっぱりキリスト教と仏教の勢力の差ということ? 活字って使わなくなって相当久しいように思うし、字母を組み上げることがとりたてるほどの重要技術とも思えない。
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:5, 参考になる)
一連の文章を同一の板(木製か金属製かも不明)に彫って刷る、いわば版画的な印刷だった可能性が高い。
グーテンベルクの偉大な点は文章ではなく一文字ごとに金属で版を用意したということ、
また印字時の摩耗に耐えられる耐久性と、細い文字を表現できる繊細な流動性のある金属合金を発明したこと。
文章を版に彫ってるのでは、長文中の一文字を間違えてもやり直しが大変だし、時間もかかる。
活字なら間違えた文字を抜き取って正しい文字を入れ直せば良い。
これで当時の情報発信のスピードは格段に高まったとか。
現在では確かに活字を組む技術は重要ではなくなっているのかもしれませんが
過去数百年の情報流通を支え、様々な文化を生んだ技術をわざわざ軽視することもないと思います。
Re:写経は宗教ではないとおっしゃるか (スコア:1)
印刷(プリント)と呼ぶか、判子(スタンプ)と呼ぶか、微妙なところですね。
いやむしろ、 (スコア:2, すばらしい洞察)
同じ情報(価値観)の複製(布教)と共有(信者)こそがほとんど全ての宗教に共通する本質じゃねーのかと思ったりしたけど、気にしません。
手段を信奉すると言われてもな (スコア:2, 興味深い)
情報の複製も共有も「同じ価値観を共有する」ための手段にすぎないからなぁ
情報の内容は問わずに手段だけを神聖視されてもピンと来ないわ
極端な話、グロ画像踏んで目を背けたら、彼らは「君は情報の共有を拒否した、
それは悪しき行いだ」と言うのだろうか? その画像をコピーしてばらまく人間を
「美しい行為だ」と賛美するのだろうか?
Re:手段を信奉すると言われてもな (スコア:1)
# 彼らの中で「むやみに情報を複製するな」っていうような文書の複製は賞賛に値されるんですかね?
# yes, fly. no, fry.
Re:手段を信奉すると言われてもな (スコア:1)
> 複製したくてしょうがなくて、思いついた手が、宗教だと言い張る
だったんだろうというのは私もそう思ったのですが
「不正コピーは違法です」っていう『不正利用禁止を促す画像』の複製も賞賛するんですかね?
(自分らに不利益なもののコピーも当然賞賛するんだよね?の皮肉込み)
っていう意味合いで書きました。
# yes, fly. no, fry.
でもなんとなく (スコア:2)
神は情報の中にいるような気がします。
世界のすべての情報をひとまとめにしたものが神なのです。
アリシア・Y (スコア:3, おもしろおかしい)
やあ、それはヨグソトホートのことですね。
らじゃったのだ
神聖な行為 (スコア:1)
ドライブのフォーマットが神聖な行為に感じるのは私だけか?
Re:神聖な行為 (スコア:2, おもしろおかしい)
Re:神聖な行為 (スコア:2, おもしろおかしい)
ファイル作成 → 罪を増やす
フォルダ作成 → 罪を貯める
デフラグ → 懺悔
データの整理 → 贖罪
バックアップ → 次の生への準備
フォーマットにもどる。
#HDDに輪廻転生を見た!
Re:神聖な行為 (スコア:1)
この様式で今後やっていきなさいという洗礼みたいなものとはいえるかもね。
Re:神聖な行為 (スコア:1)
Re:神聖な行為 (スコア:1)
しょっちゅうフォーマットなんか出来るかよ
という方には、邪教・デフラグ教 がオヌヌメ
// win95/98 のデフラグ画面には、
// なにか心癒されるものを感じてました
複製教の教祖はクローンですか? (スコア:1, おもしろおかしい)
神とか死生観とかは? (スコア:1)
他の場所で議論してたら出てきそうな、「神が居ない」「死生観(というか死について何らかの言及)がない」といった理由で宗教じゃない、って意見は出ないんですね。
や、私もそれらは言ってしまえばオマケで、宗教たる条件だとは思ってないんですが。
日本では (スコア:1)
「鰯の頭も信心」
何を信奉しようと宗教さ。
the.ACount
税金を払わないのが教義の宗教を認めろ (スコア:0)
Re:税金を払わないのが教義の宗教を認めろ (スコア:1, すばらしい洞察)
Re:税金を払わないのが教義の宗教を認めろ (スコア:1)
Re: (スコア:0)
#チューナついてないネット端末からも受信料回収するとかマジキチすぎんぜNHK
Re:税金を払わないのが教義の宗教を認めろ (スコア:2)
(ちゃんと厳格に運用できるんならな)
fj.jokes出身:
Re: (スコア:0)
お店のPOSレジとか、銀行のATMからも受信料とるんだろうか?
音源もいらないし、グラフィックも16色ぐらいでいい。
大画面 tty なコンピュータがほしいな。
部門名 (スコア:0)
オカルトとは→宗教の対局に有るものである。
…いや、これ案外マジなんですけどね。
それって、ややこしいんでない??(オフトピ-100) (スコア:1)
「オカルト」の元々の意味(≒隠された知識)からすると、教義の全てがオープンになっておらず、ある程度以上、修行を積んだetcの人間にしか教えない様な教義が有る「宗教」(密教とか)は、「オカルト」になっちゃう様な気が……
Re:部門名 (スコア:1)
アニオタとは→アイドルオタの対局に有るものである。
アイドルオタとは→アニオタの対局に有るものである。
みたいなものですね。
#当人たちから見たら相容れない別物だけど、
#外野から見たら違いがよくわからない、という意味で。
Re: (スコア:0)
Re:部門名 (スコア:1)
「対局」のほうがニュアンスあってるような気が。
対決したがる似た者同士ということで。
Re:部門名 (スコア:1)
あぁ?呼んだかぇ?
はぁ?違うよ。あたしゃ神様だァよ?!
# 誰? 神様は万能でなくてはいけない、なんて偏見を広めたのは。
fjの教祖様
Re:部門名 (スコア:1)
日本古来の考え方に則れば、むしろ単能であるべきですよねぇ。
Re:部門名 (スコア:1)
「一国一里一家の内につきても、ほどほどに神なる人あるぞかし」by 本居宣長
ってヤツですね、わかります。
Re:部門名 (スコア:1)
> ここはひとつ、神様なり仏様なりが実在することを証明してくれませんかね? 科学的手法で。
とりあえず、ゲーデルとカントのそれぞれの入門書を読んでみるといいでしょう。
Re:部門名 (スコア:1)
>実在することを証明
「実在」に概念や情報の存在も含むなら、神仏の実在は自明。
「実在」が物理的存在を意味するなら、物理法則に従わないモノが物理的に存在するはずない。
どちらでもどうぞ。
the.ACount
Re:これって (スコア:1)