政治的に正しいマーク・トウェイン、刊行される 87
ストーリー by reo
racially-challenged-Huck 部門より
racially-challenged-Huck 部門より
oguma 曰く、
この度マーク・トウェインの代表作「ハックルベリー・フィンの冒険」と「トム・ソーヤーの冒険」について、「ニグロ」などの差別用語を別の語に置き換えた改訂版が出版されるらしい (Reuters の記事、CNN.co.jp の記事より) 。
監修を担当したオーバーン大学のアラン・グリッベン教授によれば、『明らかに侮蔑的な意味合いを持つ人種差別表現は「現代の読者に嫌悪感を抱かせる」』らしい。また、米国内での多くの学校で教材として利用できないことを憂いた面もあるらしい。
米国内でも反対の声が上がっているようだが、両作品は当時の時代背景を背負っているからこその名作であると思うので、安易な書き換えが作品を損なってしまうのではないかと危惧するところ。また、読者にも当時の米国の「差別感」「雰囲気」と言ったものを学ぶ機会を失わせるのではないだろうか。
著作権法的には同一性保持権との関係が気になるところだが、記事によれば米国法では問題がないらしい。この辺り、詳しい方がおられましたら、ご説明いただけるとありがたい。
政治的に正しい? (スコア:2)
Re:政治的に正しい? (スコア:1)
まあ、ご存じかとは思いますが「政治的に正しいおとぎ話 [amazon.co.jp]」なんて書籍もありましたし、Wikipedia の ポリティカル・コレクトネスの項目 [wikipedia.org]でも「日本語では「政治的に正しい」と訳される場合がある」とか書かれてますし、別にとりたてておかしいものでもないでしょう。スペースアルクで調べて [alc.co.jp]も、1. には「政治的に正しい」が来ますしね。
Hiroki (REO) Kashiwazaki
Re:政治的に正しい? (スコア:1, 参考になる)
politicalは「政治(政党)の」という意味の単語で「公正な」なんて意味はないです。
元々は固定したイデオロギーを持ち、そこからの逸脱を激しく糾弾する左翼運動の文脈で、
党の思想に正しく準拠したというような意味だったと思います。
だからPCという用語はむしろPC(の行き過ぎ)に批判的な側から使われるんで、
単なる「公正さ」fairnessを表現するのにPCなんて使ったら、えらいことになっちゃいますよ。
Re:政治的に正しい? (スコア:1)
PCと略されると、その、なんだ、目の前の箱が何かしら
とんでもないことをやらかすような文脈に見える…
RYZEN始めました
Re: (スコア:0)
おそらく書籍のストーリーなので『政治的に正しいおとぎ話 [amazon.co.jp]』にかけたのではないでしょうか?
Re:政治的に正しい (スコア:1)
同感です。日本語としてちょっと不自然な感じが、元々の不自然さをうまく表現していると思います。
LIVE-GON(リベゴン)
マーク・トウェインは言った。 (スコア:2, 興味深い)
「ハックルベリー・フィンの冒険」の冒頭に付けられた注意書き:
"PERSONS attempting to find a motive in this narrative will be prosecuted; persons attempting to find a moral in it will be banished; persons attempting to find a plot in it will be shot."
(この物語に主題を見出そうと試みる者は訴えられます;この物語に道徳を見出そうと試みる者は追放されます;この物語に筋書きを見出そうと試みる者は撃たれます。)
Re:マーク・トウェインは言った。 (スコア:2)
今よりもっと宗教が厳格な時代に、キリスト教徒への皮肉を言いまくった人ですからねえ。
マーク・トウェインをアニメや子ども向けの本などでなくナマの小説で読まれた方でないと
わかりにくいと思うのですが、この件が他の言葉狩りの話と大きく違うのは、
不道徳な言葉こそマークトウェインの本質、というか大好物というところです。
なんというか、クソを付けない(優しい)ハートマン軍曹にしてフルメタルジャケットをリメイクしましたよ、みないなもの?
Re:マーク・トウェインは言った。 (スコア:1, おもしろおかしい)
何そのホラー映画
つ ちびくろさんぼ&カルピス (スコア:2)
T/O
日本での事件です。
閑話休題
書き忘れ;;; (スコア:2)
あられちゃんも叩かれて修正しましたねw
閑話休題
/.j ではよくある事のような気もするけど… (-1;いつもながらのオフトピ) (スコア:1)
改竄というべきでしょうね。 (スコア:1)
検閲の狭義は「行政機関などによる、出版物等の表現への介入(一部、表現自体の禁止、つまり出版禁止)」などなので、今回の場合、検閲にはあたらないとわたしも思う。
一出版社による改竄という言葉があたっているでしょう。
編集者や校正係が原稿に手をいれたりとか、結構あるので、
改竄や手入れがよいものか?わるいものかは、判別しにくいとは思う。
そもそもの「差別用語」という概念が危険だとわたしは考えている。
何かを差別するというのは、区別するのと非常に近い関係になり、
なにしろ言葉は、何かを区別して言うことが多い。
区別する必要もなく、どうでもよいことなら言わない。
そのため、ちょっとした因縁ツケのために差別だとすることが、
たやすいからだ。
「今の表現世界では、より判りやすい言葉にする/より適切なものに代替する」
という意味でのことでは妥当だと思うが、差別だからという事で改竄するのは、
表現を殺すことになると考えている。
より現代において通る言葉へ改竄するにしても新旧対応や変化点を示す程度は
しておくべきだと考えている。しかし、この教授のニュースでは訂正箇所
一覧を含めるかどうかは不記載なので、自分にとっては悪質なのかよいのか?
が判断できないという、独白。
ニグロを奴隷と変えるというのが大きな目玉の様にいっているが、それこそ
奴隷=ニグロという等式が成り立つ方々の、言葉への差別だと思っている。
ストーブのふた (スコア:2)
>そもそもの「差別用語」という概念が危険だとわたしは考えている。
同感です。
してはいけないのはあくまで「差別」です。
「『差別用語』が存在してはいけない」と言葉狩りをすることではないと思います。
それはただ、差別を隠蔽することに過ぎないのではないでしょうか。
アメリカの国民作家がいいことを言っています。
「たいせつなことは、経験から必要なだけのことを学び取り、そしてそこでやめておくということだ。
一度熱いストーブの蓋に座った猫は二度と熱いストーブの蓋に座らなくなるだろう。
それはそれでいい。
しかし、猫は冷たい蓋の上にも二度と座ろうとしないだろう」――マーク・トゥエイン
Re:ストーブのふた (スコア:1)
きっとそのうち、「その表現は動物虐待だ」として改訂版を出す奴が現れる、に200カノッサ。
fjの教祖様
Re:改竄というべきでしょうね。 (スコア:1)
>問題のある表現を自主的に隠す・変更するというのは、実質的には検閲だと思いますけどね。
それは検閲ではないよ。
自分で問題があると思うところを、正しいと思う表現で読むというのもあるからね。
それを検閲とかいっていたら、訂正すべてが「問題のある表現」を隠す/変更することになるから、校正すら検閲ということになる。
あ、広義の検閲にはもちろん校正なんかも含まれるけど、今回話題になっているのは狭義の「公権力や強い私権による表現の是正(もしくはその強制)」といった検閲のことだよね?
>たとえば日本ではエロビデオにモザイクをかけますが、当局がモザイク処理をしているわけではありませんが、しかし、無修正をuncensoredと表現しますよ。
それは検閲ですが、今回の場合、「それほど強い私権ではない」出版社が「他に流通しているモノについて強制がない」弱い自主改竄でしかないわけです。
その検閲が求めている「モザイク無し」の流通が極端に狭められる(裏に回る)という効果がまったく得られないだけのことです。
あなたの定義ですと、テストで正答を赤字で記載して×をつけたり、机上デバッグなどでソースを修正するのも検閲になってしまいますよ。
関連ストーリー (スコア:1)
Wikiって略すな [wikipedia.org]。
ID投稿推奨、マイナスモデ反対、リメンバー・スルー力。
retold版は (スコア:1)
retold版はどうなるんだろう?
ほとんど書き換えてる場合は逆にOKって感じなのかな。
改訂者のために言っておくと (スコア:1, 興味深い)
なんでも当該単語のせいでこの本は名作なのに多くの自治体や学校(たぶん小中学校相当)の図書館に置くことができないんだと。
でそれをHackしておけるようにした、ということだそうです。
あるいみ文化的ハッカーではないかと。
あとそういうことを言うんだったら旧字旧かなを新字新かなに直す方がよほど問題だと思う。>日本の出版社
Re:改訂者のために言っておくと (スコア:5, 参考になる)
日本では進化論関係が有名ですが、米国では元々禁書運動が盛んでして、魔術を奨励しているという理由でハリー・ポッターが槍玉に上がったり、ライラの冒険シリーズが無神論的であると叩かれたりして、コミュニティによっては閲覧禁止措置が取られたりします。
これに対して全米図書館協会(ALA [ala.org])では毎年「禁書週間 [bannedbooksweek.org]」を設けて読書の自由を訴えています。
全米図書館協会が発表した1990年代に最も迫害された本のリスト [ala.org]で「ハックルベリー・フィンの冒険」は堂々の5位、その次の10年でも14位 [ala.org]ですから、相当な圧力があるものと思われます。
Nullius addictus iurare in verba magistri
Re:改訂者のために言っておくと (スコア:1)
>全米図書館協会が発表した1990年代に最も迫害された本のリストで「ハックルベリー・フィンの冒険」は堂々の5位、その次の10年でも14位ですから、相当な圧力があるものと思われます。
アメリカの民度の低さが垣間見えますね。
名著/名作を「自分らが見たくない文字列があるから遠ざける」という方式に対して、
「見たくない文字はかくしてあげますよ」ということなあのでしょうね。
国によっては対策が変わるというのもあるし、アメリカ版として独立させるとよいかもしれませんね。
Re:改訂者のために言っておくと (スコア:1)
>そのような運動を行うこともできないような国こそ民度が低いのです
民度からすると、ある程度の水準なので不要なのでしないという立場もありますし、
民度からすると、相当に低い水準なので隠蔽しないといけないという立場もありますね。
民度にあわせて行動するということでしょう。
民度を高くするのではなく、低いままでいるために隠蔽するというのも、その国にとってはリーズナブルなことでしょうからね。
Re:改訂者のために言っておくと (スコア:1)
ここだけ読んで誤解しようとしたけど、ツインテールとかメガネっ子とかネコミミとかメイドさんとかパンツじゃないもんとか
そもそもはいてないとか幼女だとか男の娘だとか(以下省略)、その手の要素を入れたのかと思ったら、そういうわけじゃないのね。
そりゃまぁ没後100年経ってるしな (スコア:0)
同一性保持権の問題が無いと言うわけではなく、著作権の保護期間に無いと言う話だろ。
日本法では100年じゃ足りないとでも?
何かミスリードの意図があるの?
Re:そりゃまぁ没後100年経ってるしな (スコア:2)
同一性保持権は著作者人格権の一部ですので、法第六十条 [e-gov.go.jp]の「著作者が存しなくなつた後における人格的利益の保護」の対象となります。
Nullius addictus iurare in verba magistri
Re:そりゃまぁ没後100年経ってるしな (スコア:2)
補足しておきますと、上記の話は飽くまで日本法の話で、米国法でどうなっているのかは存じ上げません。
条約上はベルヌ条約第六条の二 [wikisource.org]に規定があり「少なくとも財産的権利が消滅するまで存続」とされていますので、たとえば米国法において経済的権利(通常の著作権)の消滅と共に人格権の保護がなくなっていたとしても、条約違反とは言えないのではないかと思う次第。((2)の規定もありますし。)
Nullius addictus iurare in verba magistri
Re:そりゃまぁ没後100年経ってるしな (スコア:1, 参考になる)
補足しておきますと、上記の話は飽くまで日本法の話で、米国法でどうなっているのかは存じ上げません。
ここ [cric.or.jp]に米国の著作権規定の日本語訳があるけれど、同一性保持権は「視覚芸術著作物」(日本の「映画の著作物」に該当)にしか認めてないみたい。
Re:そりゃまぁ没後100年経ってるしな (スコア:1)
>同一性保持権の問題が無いと言うわけではなく、著作権の保護期間に無いと言う話だろ。
>日本法では100年じゃ足りないとでも?
>何かミスリードの意図があるの?
同一性保持権は著作者人格権であって、保護期間は無限です。
無限といっても、事実上は孫が生きている間まで。
但し書きからすると、常用外漢字の置き換えや仮名遣いの変更は認められるのではないかな。差別語の削除修正は微妙かな。
Re:そりゃまぁ没後100年経ってるしな (スコア:1, 参考になる)
アメリカ合衆国における著作者人格権 [wikipedia.org]
>しかし、国際的には、アメリカはベルヌ条約に規定する著作者人格権の
>保護義務を遵守していないと評価されているのが現状である。
Re: (スコア:0)
ってのが「社会的事情で発禁になるよりましだ」とかで適用できないの?
それでも孫の代までは裁判を起こせる…と。
# 法律のひとではないのでAC
# やっぱだめなのかな?
Re: (スコア:0)
アッラカンと「風と共に去りぬ」の続編書いちゃうような馬鹿のいる国では文化とか芸術なんてしょせんこんな扱いしか受けられませんわ
Re:そりゃまぁ没後100年経ってるしな (スコア:1, おもしろおかしい)
その点、西遊記とか封神演義とか三国志とか改変しまくって
諸葛亮孔明に「は、はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!」とか
言わせてる国はさすがに文化や芸術の扱いが違う。
改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:0)
オリジナルを置き換えるのではないなら検閲だと騒ぐ必要も無いでしょうし。
問題は、単に表現のみを見て改変してオリジナルの価値を貶めていないか?って所の方じゃないかな。
侮蔑的な言葉を侮蔑的行動の表現として使用している時に、それを改変しちゃったりしたら意味が通らない事も有りえると思うんだ。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:2, すばらしい洞察)
賛成です。
あとは、どんな表現があったけどどんな理由で書き換えられたかが判るように書いてあれば良いのではないでしょうか。(直接的な表現を書く必要はないので、「黒人を差別する表現があったけど置換しました」のような感じで)
著作権云々の問題もですが、改変されたものを読んだ人が「それが本来のもの」だと認識しちゃうことがあれば、それが一番の問題になると思うんです。
神社でC#.NET
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
100年前の作品なら現代語訳って感じで良いんじゃないでしょうか。
差別用語も現在と微妙に意味合いや重要性が違ってきている言葉もあるでしょうし、
同一性保持権というより翻案権に近い気がします。
Re: (スコア:0)
古典派古典として時代背景の注釈でもつけてそのまま読ます方が良いんじゃないかと思う。
例えば日本の古典文学って奴でも下手に現代語訳なんかしたら単なるポルノになりかねないのとか有りますよね。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
>下手に現代語訳なんかしたら単なるポルノになりかねないのとか有りますよね。
単なるポルノになっちゃうって、実際、ある種、ポルノだったわけですから、
それを上手く日本語にしても、ポルノになるのは、当たり前だと思う。
そういう意味で、橋本治は、うまくやったと思うんだな。
現代語に訳するにしても、訳者の技術/才能が必要だと思う。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
>侮蔑的な言葉を侮蔑的行動の表現として使用している時に、それを改変しちゃったりしたら意味が通らない事も有りえると思うんだ。
ニグロから奴隷という変更が目玉なのだそうだが、そもそもニグロを黒人差別のために使っていたか?という問題があるよね。
そして、ニグロは奴隷であったというのも、無茶な話で、白人奴隷という存在が結構あったりするんですよね。
その白人奴隷を、アラブなんかに売り飛ばしていたという歴史もある。
そして、あの作品は、ニグロとか呼ばれ蔑まれていた人たちについてはむしろ好意的で、人種差別についてのアンチテーゼという意味もあった。
それを、その侮蔑しているという証左である言葉を弱い表現/差別を隠す表現に改竄するのは、そのアンチテーゼとしての力を失わせる改悪ではないか?とも思う。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
と云う2つの命題の間に、一体全体、何の関係が??
片方が真だろうと偽だろうと、もう一方の真偽とは何の関係も無いんじゃねーか、と。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
>と云う2つの命題の間に、一体全体、何の関係が??
黒人=奴隷
白人の奴隷もいる..破綻した式
ニグロ=奴隷
ニグロであっても奴隷でない存在があった(自由を買った奴隷もいた)
以上から、黒人を奴隷とするのは、明らかに誤りだと言っているだけですよ。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
>壊れないかどうかが重要だけど、報道記事からだけ判断するのは早急過ぎ。
報道記事から示されている事にもとづけて話をするってのがあるからね。
壊れるか?という問題もあるが、表現の改竄があるという問題は、
世界観がどうこうの問題だけではないからね。
読み取れる範囲として、表現改竄がある、世界観云々はどうあれ、
改竄自体の是非について話すのは、早急ではないよ。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
なので、使われ方を検討しない全置換は本来の目的を見失った思考停止に見える。
けど、そのままにしておくのも、逆の、当時は普通に使われてた言葉だったのに、今は禁止されてて飛んでもない単語として扱われてる、というような問題もありそう。作者は当時の雰囲気から「ちょっと口の悪いお調子者」ぐらいのキャラとして書いたのに今読むと「頭のおかしい人種差別主義者」に見えちゃう、とか。
結局、何も変えないのがベストというところで思考停止したくなる。無粋ではあるけど、注釈を入れるとか、解説でフォローするとかして。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
>使われ方を検討しない全置換は本来の目的を見失った思考停止に見える。
いや、実際...
ちょっと知能障害がある親御さんの子供へ「お前のかあちゃん気違いなんだって?」とか言っていたのを見とがめた別の親御さんが「そういう言葉を使うな」とね。
そしてら、「お前のかあちゃん、ニンチなんだって?」とね。
そして、さらに注意したら「ニンチショー」になったってさ。
「ちゃんと正しい病気の名前なんだからいいだろ」ってことな。
代替語に置き換わるだけなんだけどね。
>無粋ではあるけど、注釈を入れるとか、解説でフォローするとかして。
うん、それがベストだと思うんだ。
「何も変えないのがベスト」というのは思考停止ではなくて、
その時代の表現言葉を残すという意味でやらなければいけないことだと、
考えている。
差別用語とか、差別語とか言って使わなくしようというのは、
言葉を差別することで自分らの差別心の免罪符にしようという
浅ましくさもしい行為なんだよな。
醜いから嫌だ...その時代はそれが醜くはなかっただけのことを
許せないって、これも過去に対する差別をすることで(ry
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
作品についてはできれば、原典、訳注付き、現代表現(おだやかにするんじゃなくて、ちゃんとニュアンスを汲みとったもの)、があるのがいいかなーとか思う。
あんまり訳注があっても、イメージがうまく湧かない人もいるだろうし
ここらへんは、原作へのリンクとかあとがきとかで適切なフォローはできると思うんだけど、今回やってるかな...?
# うーん、例になってる子供の表現のしかたについては、(中身がついていってないけど)それはそれでやんないとちょっと問題ある気はする
# 中身がついてかないと、代替語でしかないっていうのには同意
## かなり昔の段階で「気が違っている(その意味での文語表現)」、「気違い(侮蔑表現)」じゃやっぱニュアンス違うし...(オフトピ
M-FalconSky (暑いか寒い)
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
>ここらへんは、原作へのリンクとかあとがきとかで適切なフォローはできると思うんだけど、今回やってるかな...?
アメリカって人種混淆していて文化程度や民度も様々で幅が大きいですからね。
そういった「悪いと思える事の隠蔽」の方が、教育や民度向上より手っ取り早い
ということで、フォローなしの方がよいのかもしれません。
隠蔽するために、改竄するという方針ですからね。
隠蔽しないと売れない、薄くして濁った水を飲ませるのも、対症療法としてはありかもね。
>うーん、例になってる子供の表現のしかたについては、(中身がついていってないけど)それはそれでやんないとちょっと問題ある気はする
基本的には、そのおばさんやその子供を揶揄するなということなんですけどね。
そういった「言葉の尻尾切り」でなんとかしようとしている以上、これはどうしようもないと思いますよ。
「で、お前のママってちびだな、あ、そっちのママはデブだよな。
お前ら、自分の母親をチビだとかデブって言われてうれしいんだな?」
とか言ったら、少なくともわたしの聞こえる範囲では言わなくなったけどね。
>かなり昔の段階で「気が違っている(その意味での文語表現)」、「気違い(侮蔑表現)」じゃやっぱニュアンス違うし...
最近はそういった面での教育水準というのかな?学術じゃない社会的教育の水準が下がってきている。
もちろん、学術的な面だって、相当に怪しいけどね。
なもんで、そういった表現の差異ってのは、理解されないと思うけどね。
宮崎君とか加藤君の行動について「気違い沙汰だよな」といったら、文句付けられたことがあったな。
「え?あれが気違い沙汰じゃないの?ふーん、あんたにとっては普通のことなんだろうなぁ。わたしはそういうのを普通だと考える教育は受けてないからなぁ」とかね。
政治的に正しくない「トム・ソーヤーの冒険」:改変版 (スコア:0)
ある日、トムは母親から家の周りの柵にペンキを塗りなおすように言われた。
ペンキ塗りなんか面倒くさくてやってられない。どうにかして誰かにやらせてしまえと考えたトムは、
町の不良共にシンナーを上げる約束で、ペンキ塗りをやらせたとさ。ちゃんちゃん。
後の日本で、このストーリーからできた芸が、「シンナーに気を付けて壁塗んな」である。
Re: (スコア:0)
なんか大げさすぎないか? (スコア:0)
明治時代の文学が現代漢字と現代仮名使いで出るのなんて珍しく無いじゃないかな。
そう考えれば現在あんまり使われない表現や使う事が推奨されない表現を書き換えたものが出てもおかしく無いと思うけど。
もちろん元の物が出版できなくなるなら問題だろうけど、そうじゃない訳だし。
Re:こうして秀作が駄作へと改変される。。 (スコア:1)
>元々は、悪るさをすると懲らしめられるとか、良いことをすれば
>見返りがあるかもしれないのを教える話が
民話・昔話に関しては「私が知っている版は」といった注釈が必要だと思います。
元をどんどん辿っていくと、寓意なんてない単なる勢いや爽快感だけを追う(見方によっては差別的な)話だったり
単なる悲劇や”何やっても結局ダメなものはダメ”という無情な話だったりすることも良くあります。
そういう意味で、民話・昔話は我々が当然だと思っている内容が「すでに改変されたものの中で、たまたま有名なバージョン」であると思った方が無難です。
元が改変や合体やパクりの複合物である昔話を、「自分が知ってるものが正規版で、最近のものは改変版だ!」という話で出してくるのは筋がよくありません。
#「自分が知ってる、昔のバージョンの方が最近のものより良かったのに!」という主張はアリですよ。ただどちらも「オリジナル」ではないよ、という話。
Re:しゃむ (スコア:2, 興味深い)
実際、現実のサミュエル・クレメンズ氏(※マーク・トウェイン氏の本名)も相当な変人だったらしいですね。
〈リバーワールド〉作中におけるサムの言動がどの程度ご本人に近いのかは分からないのですが、いずれにしても反骨心の強い方だったと思われるので、果たしてこのような改変を快諾してくれるかどうかは少々疑問です。
# リバーワールドへ転生の暁には尋ねてみなくちゃ。:-)