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日本は制度上カルト宗教に対して脆弱で、宗教の看板さえ上げてれば、どんな酷いことをしてても保護されることが憲法20条他で定められてる一方で、カルト被害者やカルト批判者をカルト宗教の攻撃から守ることすら禁じられてるからね。だから役所系はカルト宗教にはアンタッチャブル。こういう制度になった背景として、戦前は国家神道以外の宗教はカルトであるか否かを問わず禁止されていたので、戦後GHQがそこからの脱却を優先して、宗教に過剰な保護とフリーハンドを与えたのが原因です。
だから、カルトから攻撃をチラつかされれば、会社や社員を守るため引き下がらざるを得
戦前は国家神道以外の宗教はカルトであるか否かを問わず禁止されていたので、
逆だよ。大日本帝国では神道は宗教ではなく国体と一体なので内務省の外局である神祇院が神社を管理して護国神社とか国家予算で作ってた。神道が文部省の管轄する宗教になったのはそれこそ戦後だよ。大日本帝国憲法下でも信教の自由は存在し宗教は合法だった。中には危険思想視されるものもあったかもしれんが、それこそカルト扱いに近い。あくまで国体である神道と思想である宗教は別物。江戸時代に習合していた神社と仏閣を分離したのも隠れキリシタンが隠れていなくてもよくなったのも大日本帝国政府がやったことだ。だいたい天皇家自体飛鳥時代以来千年以上にわたり仏教徒だったんだしね。
確かに、戦前の制度、宗教の定義・扱いに則せば>>戦前は国家神道以外の宗教はカルトであるか否かを問わず禁止されていたは間違いだと思う
ただ現代的というか客観的に見れば>大日本帝国では神道は宗教ではなく国体と一体なのでは所謂「祭政一致の神権政治」寄りの体制ということ少なくとも現代から見れば国家神道=国家宗教と言えるし、もっと踏み込めば体制維持の根拠そのものが天皇主権に帰する宗教であったと言って良い実際大日本帝国憲法第28条 [wikipedia.org]の解説のところ見てもらえば分かるが、政府が宗教の論争から自由であることを期しているにも関わらず、正教と謬教を峻別するなどという宗教じみた方針(矛盾)を根幹に置いている>中には危険思想視されるものもあったかもしれんが、それこそカルト扱いに近い。の基準も現代の「カルト」とは全く異なったということ
そのため国家宗教・宗教国家の主権を侵しかねない宗教・宗派・思想・活動は指弾されたし、戦前戦中の思想統制下では大本以外でも激しい弾圧がおこなわれた逆に、その主権に矛盾しないか政権の方針に協賛する宗教・宗派・思想・活動は許された(戦前・戦中期日本の言論弾圧の年表 [wikipedia.org]※宗教弾圧も一緒に載っている)
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
カルト天国日本 (スコア:1)
日本は制度上カルト宗教に対して脆弱で、宗教の看板さえ上げてれば、どんな酷いことをしてても保護されることが憲法20条他で定められてる一方で、カルト被害者やカルト批判者をカルト宗教の攻撃から守ることすら禁じられてるからね。
だから役所系はカルト宗教にはアンタッチャブル。
こういう制度になった背景として、戦前は国家神道以外の宗教はカルトであるか否かを問わず禁止されていたので、戦後GHQがそこからの脱却を優先して、宗教に過剰な保護とフリーハンドを与えたのが原因です。
だから、カルトから攻撃をチラつかされれば、会社や社員を守るため引き下がらざるを得
Re: (スコア:1)
逆だよ。
大日本帝国では神道は宗教ではなく国体と一体なので内務省の外局である神祇院が神社を管理して護国神社とか国家予算で作ってた。神道が文部省の管轄する宗教になったのはそれこそ戦後だよ。
大日本帝国憲法下でも信教の自由は存在し宗教は合法だった。中には危険思想視されるものもあったかもしれんが、それこそカルト扱いに近い。あくまで国体である神道と思想である宗教は別物。江戸時代に習合していた神社と仏閣を分離したのも隠れキリシタンが隠れていなくてもよくなったのも大日本帝国政府がやったことだ。
だいたい天皇家自体飛鳥時代以来千年以上にわたり仏教徒だったんだしね。
Re:カルト天国日本 (スコア:1)
確かに、戦前の制度、宗教の定義・扱いに則せば
>>戦前は国家神道以外の宗教はカルトであるか否かを問わず禁止されていた
は間違いだと思う
ただ現代的というか客観的に見れば
>大日本帝国では神道は宗教ではなく国体と一体なので
は所謂「祭政一致の神権政治」寄りの体制ということ
少なくとも現代から見れば国家神道=国家宗教と言えるし、もっと踏み込めば体制維持の根拠そのものが天皇主権に帰する宗教であったと言って良い
実際大日本帝国憲法第28条 [wikipedia.org]の解説のところ見てもらえば分かるが、政府が宗教の論争から自由であることを期しているにも関わらず、正教と謬教を峻別するなどという宗教じみた方針(矛盾)を根幹に置いている
>中には危険思想視されるものもあったかもしれんが、それこそカルト扱いに近い。
の基準も現代の「カルト」とは全く異なったということ
そのため国家宗教・宗教国家の主権を侵しかねない宗教・宗派・思想・活動は指弾されたし、戦前戦中の思想統制下では大本以外でも激しい弾圧がおこなわれた
逆に、その主権に矛盾しないか政権の方針に協賛する宗教・宗派・思想・活動は許された
(戦前・戦中期日本の言論弾圧の年表 [wikipedia.org]※宗教弾圧も一緒に載っている)