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講義の出欠なんてどうでもいいと思うんだがなあ。何のために考査を実施するのか。
講義に出席していなくとも過去問丸暗記で対策できてしまうような試験だからでしょう。
そういう試験でなくても、「出欠数に関わりなく、試験は受けさせるし、試験の結果がよければ単位はやる」と宣言すると、だいたい教室の後ろの方の学生は喜んで、そのまま授業を欠席します。もちろん、授業に出てなければ試験に通るはずはないのですがね。(理工系ではなく、文系の場合。教科書なんて無いし。教える内容は全て教員の頭の中にある。だから授業にきちんと出て、毎回、ちゃんと自分でノートを取ってないと試験に通るのは無理。もっとも最近はいくら注意してもノートを取らない学生が多い。どうも高校までの習慣からノートって教師が板書したものを書き写すものだと思っているらしい...。) 他大学の教授も同じことを週刊誌に書いていましたが、経験的に教室の前の方に座っている学生ほど成績が良く、かつ欠席も少なく、後ろの方に行くほど欠席も多くなり、かつ成績も下がる傾向が見られます。ま、理由はわかりますけどね。
現職の大学の先生とお見受けしますが、最近の大学って、文科省やら学位授与機構やらから、認証評価だの単位の実質化だの言われてるせいか、下手に出席回数足りてない学生に補講以外の方法で出席回数代替して単位出すと、逆に教授が懲戒食らうって認識だったんですけど、その宣言って大丈夫なんですか?例:授業受けていない学生に単位 愛知教育大、教授を2カ月停職 [sankei.com]
下手に出席回数足りてない学生に補講以外の方法で出席回数代替して単位出すと、逆に教授が懲戒食らう
文科省の指導は「3分の1以上欠席」した者には単位を与えるべきではないというようなものだったと思いますが、実際の運用は大学によって分かれていると思います。大学は基本的に教授の自律を尊重しますので、出欠も「できるだけ取るようにしてください」という要請の形になります。また、出欠を取っていた場合でも実際の報告は「出欠取りの実施回数と欠席回数」なので、例え「欠席1日」とあっても、30回の授業の内何回出欠を取ったのかにより、実際の欠席数は3分の1を超えている可能性もあり得ますが、それを知る術はありません。私自身は出欠は毎回取ると宣言し、全回出欠を取っています。 また、文科省からは休講はできるだけ補講で対応するようにとの指導がありますが、現実には補講が難しい場合があり、その場合はレポート提出で補講を代替えするということが認められています。なぜ補講が難しいかと言うと、大学の授業は他学部他学科の学生も履修しているので、学生により時間割がバラバラで、その授業時間以外に全員の都合の良い時間が取れない場合が多いからです。また夜遅い時間帯に補講をやった場合に帰宅途中女子学生が事件に巻き込まれたときの大学の責任はどうなるのかなどといった問題もあるようです。以前は私学の場合1学期は12週位だったのが、文科省はきちんと15週やるように圧力を掛けてきており、ハッピーマンデーのせいで月曜日の授業がやたらと潰れることもあり大学は授業時間の確保に四苦八苦しております。以前は学期末に授業と定期試験の間に1週間ほど補講期間を確保できていたのが、今では2日とか位しか確保できなくなってしまっています。 それでも文科省の締め付けが厳しいので、補講のレポート代替えは3回までとか制限されています。それ以上は必ず補講をやれと指導されます。 役職に就いていて多忙な教授などは、院生などを使って代行授業をやらせるのは日常茶飯事です。また私学の場合は教員は色々な行事に駆り出させられたり、学会などの参加による出張も頻繁にありますから、なかなか全てに補講するというようなことは無理があります。 出席回数が足りない学生の場合は経験的に試験やレポートが通ることはありません。授業を聴いてないのですから、試験に何を答えていいかわかるはずがありません。(学ぶことが教科書に書いてある理工系や法学系と教科書も参考書もない文系の授業のあり方の違いです。) なお、実際に出席回数の足りないタレントの学生がおりましたが、彼はテレビ出演などのためにどの科目の授業にもほとんど顔を出しておらず、レポートでの単位取得を願い出てきましたが、いい性格の学生だったので個人的には何とかしてやりたかったのですが、どの授業も聴いてないのに、そのテーマでレポートが書けるはずがないし、そんなことではこの学科を卒業したことにもならないといって突き放しました。 大学内でも授業回数や出席数を厳密に管理すべきだと主張するのはいつも工学部で、それに猛烈に反発するのがいつも文学部で大学の会議はそれで紛糾しているようです。他大学の教員の話を聞いても工学部と文学部でのそのような意見の相違はあるようです。学問の方法論や文化の違いなんだろうと思っています。
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にわかな奴ほど語りたがる -- あるハッカー
出欠ってそんな大事なのか? (スコア:1)
講義の出欠なんてどうでもいいと思うんだがなあ。
何のために考査を実施するのか。
Re: (スコア:1)
講義に出席していなくとも過去問丸暗記で対策できてしまうような試験だからでしょう。
Re: (スコア:3)
講義に出席していなくとも過去問丸暗記で対策できてしまうような試験だからでしょう。
そういう試験でなくても、「出欠数に関わりなく、試験は受けさせるし、試験の結果がよければ単位はやる」と宣言すると、だいたい教室の後ろの方の学生は喜んで、そのまま授業を欠席します。もちろん、授業に出てなければ試験に通るはずはないのですがね。(理工系ではなく、文系の場合。教科書なんて無いし。教える内容は全て教員の頭の中にある。だから授業にきちんと出て、毎回、ちゃんと自分でノートを取ってないと試験に通るのは無理。もっとも最近はいくら注意してもノートを取らない学生が多い。どうも高校までの習慣からノートって教師が板書したものを書き写すものだと思っているらしい...。)
他大学の教授も同じことを週刊誌に書いていましたが、経験的に教室の前の方に座っている学生ほど成績が良く、かつ欠席も少なく、後ろの方に行くほど欠席も多くなり、かつ成績も下がる傾向が見られます。ま、理由はわかりますけどね。
出席回数の重要性 (スコア:2)
現職の大学の先生とお見受けしますが、
最近の大学って、文科省やら学位授与機構やらから、認証評価だの単位の実質化だの言われてるせいか、下手に出席回数足りてない学生に補講以外の方法で出席回数代替して単位出すと、逆に教授が懲戒食らうって認識だったんですけど、その宣言って大丈夫なんですか?
例:授業受けていない学生に単位 愛知教育大、教授を2カ月停職 [sankei.com]
uxi
Re:出席回数の重要性 (スコア:2)
下手に出席回数足りてない学生に補講以外の方法で出席回数代替して単位出すと、逆に教授が懲戒食らう
文科省の指導は「3分の1以上欠席」した者には単位を与えるべきではないというようなものだったと思いますが、実際の運用は大学によって分かれていると思います。大学は基本的に教授の自律を尊重しますので、出欠も「できるだけ取るようにしてください」という要請の形になります。また、出欠を取っていた場合でも実際の報告は「出欠取りの実施回数と欠席回数」なので、例え「欠席1日」とあっても、30回の授業の内何回出欠を取ったのかにより、実際の欠席数は3分の1を超えている可能性もあり得ますが、それを知る術はありません。私自身は出欠は毎回取ると宣言し、全回出欠を取っています。
また、文科省からは休講はできるだけ補講で対応するようにとの指導がありますが、現実には補講が難しい場合があり、その場合はレポート提出で補講を代替えするということが認められています。なぜ補講が難しいかと言うと、大学の授業は他学部他学科の学生も履修しているので、学生により時間割がバラバラで、その授業時間以外に全員の都合の良い時間が取れない場合が多いからです。また夜遅い時間帯に補講をやった場合に帰宅途中女子学生が事件に巻き込まれたときの大学の責任はどうなるのかなどといった問題もあるようです。以前は私学の場合1学期は12週位だったのが、文科省はきちんと15週やるように圧力を掛けてきており、ハッピーマンデーのせいで月曜日の授業がやたらと潰れることもあり大学は授業時間の確保に四苦八苦しております。以前は学期末に授業と定期試験の間に1週間ほど補講期間を確保できていたのが、今では2日とか位しか確保できなくなってしまっています。
それでも文科省の締め付けが厳しいので、補講のレポート代替えは3回までとか制限されています。それ以上は必ず補講をやれと指導されます。
役職に就いていて多忙な教授などは、院生などを使って代行授業をやらせるのは日常茶飯事です。また私学の場合は教員は色々な行事に駆り出させられたり、学会などの参加による出張も頻繁にありますから、なかなか全てに補講するというようなことは無理があります。
出席回数が足りない学生の場合は経験的に試験やレポートが通ることはありません。授業を聴いてないのですから、試験に何を答えていいかわかるはずがありません。(学ぶことが教科書に書いてある理工系や法学系と教科書も参考書もない文系の授業のあり方の違いです。)
なお、実際に出席回数の足りないタレントの学生がおりましたが、彼はテレビ出演などのためにどの科目の授業にもほとんど顔を出しておらず、レポートでの単位取得を願い出てきましたが、いい性格の学生だったので個人的には何とかしてやりたかったのですが、どの授業も聴いてないのに、そのテーマでレポートが書けるはずがないし、そんなことではこの学科を卒業したことにもならないといって突き放しました。
大学内でも授業回数や出席数を厳密に管理すべきだと主張するのはいつも工学部で、それに猛烈に反発するのがいつも文学部で大学の会議はそれで紛糾しているようです。他大学の教員の話を聞いても工学部と文学部でのそのような意見の相違はあるようです。学問の方法論や文化の違いなんだろうと思っています。