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もともとなんで著作権のような物が必要になったのかといえば
1.著作権が無いとコピーして売りまくってフリーランチをする人が登場する2.著作者は作っても儲からないから作るのをやめてしまう、市場の神の手が働かなくなる3.著作物は過小となって世の中に最適な量の著作が生まれなくなる4.著作者も閲覧者も損をする
これを防止する為に、この権利を作った訳だ。著作権それは手段であって目的ではない訳です。著作者に適切収益を侵害する可能性が無いのに自由な閲覧に対して権利だからと制約を加えていくのは好ましくないだろうしブックオフの様な著作者に収益が行くとは思えないものも好ましくないだろうしJASRACの様な怪しげな中間搾取があるとすれば、そもそも著作権機能しているのかとも思えるし著作している人がもう死んで著作物が生まれる訳でもないのに家族に延々と支払われ続けるのはそもそも奇妙・・・・はてはて
「著作権を守れ!」と、声高に叫んでいる人たちが手放したくない物は、じつは著作権(作品を作ったときの労働対価を守る)そのものではなくて、興行権(人に見せる度ごとの収入を守る)の方なんですよね。だから、彼ら興行者たちは、ユーザが一回データを再生するたびに自分たちの懐にちゃりんとお金が転がり込むような仕組みを理想としていて、それに限りなく近くできるように、じりじりと一つずつ実現しようとしているのだと思っています。
で、興行権を著作権だと偽って(というか著作権の一部だと言いくるめて)今の著作権保護法の保護対象として組み立ててあって、そのことをほとんどの人が気づいていないところに、あるいは、興行権と著作権を混同して話を持っていこうとしている人が多いことにとても問題があるのだ、と私は思うのです。
「著作権者の権利を守るために著作権保護法を遵守しましょう」と、よくいわれます。これを、ふつうの人は、著作権保護法というのは、作者の収入を守るのだと、作者の収入を守って、よいコンテンツを次々作ってもらえるように、著作権料を払ってもいいや、という具合に解釈しているみたいですが、「著作権を買い取って著作権者となったわれわれ興行者の収入を守れ」といっているだけなのだと、私は思っています。
著作権保護法が本当に守りたい人(=著作者)たちと、実際に著作権保護法の運用で守られている人たち(=著作権者/著作権回収代行者)が違っていて、とても腹立たしいのです。
強大な資金力を持つ興行者が、資金力に乏しい著作者を資金面で支えている一面があることは、その通りだと思います。だから、私は興行権を全否定する者ではありません。
それでも、「著作権の保護」と、「興行権の保護」は、きちんと言葉を区別して、扱うべきだと思うのです。興行権の保護だけを単独でとりだすと、当然、世間様の風当たりが強いから、興行者たちは必死で、興行権を著作権の中に混ぜ込んだままにしておこうと抵抗するでしょうけれど。
著作権や著作を使った収益を譲れるって事、それ自体が間違っているんですね。著作権を利用して儲けたい人は基本的にビジネスロジックで儲けなければ市場が歪んでしまう。困った問題は、多くの著作者や発明家はこれらの権利が何故に必要か分かっていないから、儲ける事が悪とばかりに放棄する人まででてくる。それはあってはならない事、あなたは良くても社会が壊れると理解してもらわないといけない。特許なんかも同様なんですよね、会社が特許を買い上げたりするのは特許が果たすべき機能が破壊されるという事なんだ。
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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
権利や義務の前にある物 (スコア:1)
もともとなんで著作権のような物が必要になったのかといえば
1.著作権が無いとコピーして売りまくってフリーランチをする人が登場する
2.著作者は作っても儲からないから作るのをやめてしまう、市場の神の手が働かなくなる
3.著作物は過小となって世の中に最適な量の著作が生まれなくなる
4.著作者も閲覧者も損をする
これを防止する為に、この権利を作った訳だ。著作権それは手段であって目的ではない訳です。
著作者に適切収益を侵害する可能性が無いのに自由な閲覧に対して権利だからと制約を加えていくのは好ましくないだろうし
ブックオフの様な著作者に収益が行くとは思えないものも好ましくないだろうし
JASRACの様な怪しげな中間搾取があるとすれば、そもそも著作権機能しているのかとも思えるし
著作している人がもう死んで著作物が生まれる訳でもないのに家族に延々と支払われ続けるのはそもそも奇妙
・・・・はてはて
Re:権利や義務の前にある物 (スコア:5, すばらしい洞察)
「著作権を守れ!」と、声高に叫んでいる人たちが手放したくない物は、
じつは著作権(作品を作ったときの労働対価を守る)そのものではなくて、
興行権(人に見せる度ごとの収入を守る)の方なんですよね。
だから、彼ら興行者たちは、
ユーザが一回データを再生するたびに
自分たちの懐にちゃりんとお金が転がり込むような仕組みを理想としていて、
それに限りなく近くできるように、じりじりと一つずつ実現しようとしているのだと思っています。
で、興行権を著作権だと偽って(というか著作権の一部だと言いくるめて)
今の著作権保護法の保護対象として組み立ててあって、
そのことをほとんどの人が気づいていないところに、
あるいは、興行権と著作権を混同して話を持っていこうとしている人が多いことに
とても問題があるのだ、と私は思うのです。
「著作権者の権利を守るために著作権保護法を遵守しましょう」と、よくいわれます。
これを、ふつうの人は、著作権保護法というのは、作者の収入を守るのだと、
作者の収入を守って、よいコンテンツを次々作ってもらえるように、
著作権料を払ってもいいや、という具合に解釈しているみたいですが、
「著作権を買い取って著作権者となったわれわれ興行者の収入を守れ」
といっているだけなのだと、私は思っています。
著作権保護法が本当に守りたい人(=著作者)たちと、
実際に著作権保護法の運用で守られている人たち(=著作権者/著作権回収代行者)が違っていて、
とても腹立たしいのです。
強大な資金力を持つ興行者が、
資金力に乏しい著作者を資金面で支えている一面があることは、その通りだと思います。
だから、私は興行権を全否定する者ではありません。
それでも、「著作権の保護」と、「興行権の保護」は、きちんと言葉を区別して、扱うべきだと思うのです。
興行権の保護だけを単独でとりだすと、当然、世間様の風当たりが強いから、
興行者たちは必死で、興行権を著作権の中に混ぜ込んだままにしておこうと抵抗するでしょうけれど。
Re: (スコア:0)
著作権や著作を使った収益を譲れるって事、それ自体が間違っているんですね。
著作権を利用して儲けたい人は基本的にビジネスロジックで儲けなければ市場が歪んでしまう。
困った問題は、多くの著作者や発明家はこれらの権利が何故に必要か分かっていないから、儲ける事が悪とばかりに放棄する人まででてくる。
それはあってはならない事、あなたは良くても社会が壊れると理解してもらわないといけない。
特許なんかも同様なんですよね、会社が特許を買い上げたりするのは特許が果たすべき機能が破壊されるという事なんだ。