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検閲の狭義は「行政機関などによる、出版物等の表現への介入(一部、表現自体の禁止、つまり出版禁止)」などなので、今回の場合、検閲にはあたらないとわたしも思う。一出版社による改竄という言葉があたっているでしょう。編集者や校正係が原稿に手をいれたりとか、結構あるので、改竄や手入れがよいものか?わるいものかは、判別しにくいとは思う。
そもそもの「差別用語」という概念が危険だとわたしは考えている。何かを差別するというのは、区別するのと非常に近い関係になり、なにしろ言葉は、何かを区別して言うことが多い。区別する必要もなく、どうでもよいことなら言わない。そのため、ちょっとした因縁ツケのために差別だとすることが、たやすいからだ。
「今の表現世界では、より判りやすい言葉にする/より適切なものに代替する」という意味でのことでは妥当だと思うが、差別だからという事で改竄するのは、表現を殺すことになると考えている。
より現代において通る言葉へ改竄するにしても新旧対応や変化点を示す程度はしておくべきだと考えている。しかし、この教授のニュースでは訂正箇所一覧を含めるかどうかは不記載なので、自分にとっては悪質なのかよいのか?が判断できないという、独白。
ニグロを奴隷と変えるというのが大きな目玉の様にいっているが、それこそ奴隷=ニグロという等式が成り立つ方々の、言葉への差別だと思っている。
>そもそもの「差別用語」という概念が危険だとわたしは考えている。
同感です。してはいけないのはあくまで「差別」です。「『差別用語』が存在してはいけない」と言葉狩りをすることではないと思います。それはただ、差別を隠蔽することに過ぎないのではないでしょうか。
アメリカの国民作家がいいことを言っています。
「たいせつなことは、経験から必要なだけのことを学び取り、そしてそこでやめておくということだ。 一度熱いストーブの蓋に座った猫は二度と熱いストーブの蓋に座らなくなるだろう。 それはそれでいい。 しかし、猫は冷たい蓋の上にも二度と座ろうとしないだろう」――マーク・トゥエイン
きっとそのうち、「その表現は動物虐待だ」として改訂版を出す奴が現れる、に200カノッサ。
>問題のある表現を自主的に隠す・変更するというのは、実質的には検閲だと思いますけどね。
それは検閲ではないよ。自分で問題があると思うところを、正しいと思う表現で読むというのもあるからね。それを検閲とかいっていたら、訂正すべてが「問題のある表現」を隠す/変更することになるから、校正すら検閲ということになる。
あ、広義の検閲にはもちろん校正なんかも含まれるけど、今回話題になっているのは狭義の「公権力や強い私権による表現の是正(もしくはその強制)」といった検閲のことだよね?
>たとえば日本ではエロビデオにモザイクをかけますが、当局がモザイク処理をしているわけではありませんが、しかし、無修正をuncensoredと表現しますよ。
それは検閲ですが、今回の場合、「それほど強い私権ではない」出版社が「他に流通しているモノについて強制がない」弱い自主改竄でしかないわけです。その検閲が求めている「モザイク無し」の流通が極端に狭められる(裏に回る)という効果がまったく得られないだけのことです。
あなたの定義ですと、テストで正答を赤字で記載して×をつけたり、机上デバッグなどでソースを修正するのも検閲になってしまいますよ。
「人々の知覚,認識,さらには選好までも形作り,それがいかなる程度であれ,彼らに不平不満を持たせないこと,それこそが権力の至高の,しかも陰険な公使である」このような「思考の支配は……日常のありふれた形態を取る。」(ルークス 1995)
つまり,スマートな権力は支配されている人間にその存在を気づかせない。
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/.j ではよくある事のような気もするけど… (-1;いつもながらのオフトピ) (スコア:1)
改竄というべきでしょうね。 (スコア:1)
検閲の狭義は「行政機関などによる、出版物等の表現への介入(一部、表現自体の禁止、つまり出版禁止)」などなので、今回の場合、検閲にはあたらないとわたしも思う。
一出版社による改竄という言葉があたっているでしょう。
編集者や校正係が原稿に手をいれたりとか、結構あるので、
改竄や手入れがよいものか?わるいものかは、判別しにくいとは思う。
そもそもの「差別用語」という概念が危険だとわたしは考えている。
何かを差別するというのは、区別するのと非常に近い関係になり、
なにしろ言葉は、何かを区別して言うことが多い。
区別する必要もなく、どうでもよいことなら言わない。
そのため、ちょっとした因縁ツケのために差別だとすることが、
たやすいからだ。
「今の表現世界では、より判りやすい言葉にする/より適切なものに代替する」
という意味でのことでは妥当だと思うが、差別だからという事で改竄するのは、
表現を殺すことになると考えている。
より現代において通る言葉へ改竄するにしても新旧対応や変化点を示す程度は
しておくべきだと考えている。しかし、この教授のニュースでは訂正箇所
一覧を含めるかどうかは不記載なので、自分にとっては悪質なのかよいのか?
が判断できないという、独白。
ニグロを奴隷と変えるというのが大きな目玉の様にいっているが、それこそ
奴隷=ニグロという等式が成り立つ方々の、言葉への差別だと思っている。
ストーブのふた (スコア:2)
>そもそもの「差別用語」という概念が危険だとわたしは考えている。
同感です。
してはいけないのはあくまで「差別」です。
「『差別用語』が存在してはいけない」と言葉狩りをすることではないと思います。
それはただ、差別を隠蔽することに過ぎないのではないでしょうか。
アメリカの国民作家がいいことを言っています。
「たいせつなことは、経験から必要なだけのことを学び取り、そしてそこでやめておくということだ。
一度熱いストーブの蓋に座った猫は二度と熱いストーブの蓋に座らなくなるだろう。
それはそれでいい。
しかし、猫は冷たい蓋の上にも二度と座ろうとしないだろう」――マーク・トゥエイン
Re:ストーブのふた (スコア:1)
きっとそのうち、「その表現は動物虐待だ」として改訂版を出す奴が現れる、に200カノッサ。
fjの教祖様
Re: (スコア:0)
たとえば日本ではエロビデオにモザイクをかけますが、当局がモザイク処理をしているわけではありませんが、しかし、無修正をuncensoredと表現しますよ。
Re:改竄というべきでしょうね。 (スコア:1)
>問題のある表現を自主的に隠す・変更するというのは、実質的には検閲だと思いますけどね。
それは検閲ではないよ。
自分で問題があると思うところを、正しいと思う表現で読むというのもあるからね。
それを検閲とかいっていたら、訂正すべてが「問題のある表現」を隠す/変更することになるから、校正すら検閲ということになる。
あ、広義の検閲にはもちろん校正なんかも含まれるけど、今回話題になっているのは狭義の「公権力や強い私権による表現の是正(もしくはその強制)」といった検閲のことだよね?
>たとえば日本ではエロビデオにモザイクをかけますが、当局がモザイク処理をしているわけではありませんが、しかし、無修正をuncensoredと表現しますよ。
それは検閲ですが、今回の場合、「それほど強い私権ではない」出版社が「他に流通しているモノについて強制がない」弱い自主改竄でしかないわけです。
その検閲が求めている「モザイク無し」の流通が極端に狭められる(裏に回る)という効果がまったく得られないだけのことです。
あなたの定義ですと、テストで正答を赤字で記載して×をつけたり、机上デバッグなどでソースを修正するのも検閲になってしまいますよ。
Re: (スコア:0)
「人々の知覚,認識,さらには選好までも形作り,それがいかなる程度であれ,彼らに不平不満を持たせないこと,それこそが権力の至高の,しかも陰険な公使である」このような「思考の支配は……日常のありふれた形態を取る。」(ルークス 1995)
つまり,スマートな権力は支配されている人間にその存在を気づかせない。
Re: (スコア:0)