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CCじたいにかなり広い選択の幅が有るから、「CCで」だけだと何をどう許諾してるのか判らん。単に「配信スタート」としか言ってないのと大差ない。
今回は本文中にはCCのドレなのかは書かれてるけど、タイトルには書かれてないのが減点。せめてスラドではきちんとしようよ。そうでなきゃ凡百マスコミとの差別化は全然図れないよ。
一言言い添えるのを楽にするためにも、属性をコンパクトに言う方法が用意されてるんじゃないのか?>CC
本邦も早くそうなってくれ…
ここまで無頓着だと、FSFが「『どのCCか』といちいち聞き返さなければならないのが問題」と言っている [gnu.org]のも単なる言いがかりとは思えなくなってきますね。
同意だがお前(FSF)が言うな。GPLも生GPLと例外つきGPLは別物だから、「『どの例外か』といちいち聞き返さなければならない」安全側に振って一番厳しい条件で考えてれば違反することはないけど、それはCCでも同じだよね。
#無知か戦略上の理由(別ライセンスを用意など)で意図的にしている場合を除けば生GPLは使えない(場面が多い)ので、#理解してる人(FSFなど)は例外つきGPLにしてることが多い
そんなに多い?gcc とか bison とかの性質上必然的なものしか思いあたらないけど……
「性質上必然的」ではないでしょう。
GPLはもともと「主義主張」の産物(他よりも遥かに主義主張面の比率が高い)だけど、ほんとにその主義主張に徹底して拘るなら、例外条項なんてつける必要は無いんだよ。「くくくくく。gccでmakeしやがったな!おまえら今日からGPLだ!!!」でOKなんだよ、FSF思想的には。
だけどそれをしないのはいわゆるゲンジツを見てしまったからでしょ。「もっと多く使ってもらいたい」と思ったからでしょ。
#さもなくば今頃「gcc?ああそんなコンパイラもあったね。誰も使ってないだろけど」というマイナーコンパイラでしかなかったろう。(理由は違うけど)Hurdみたいな状況になっていただろうね。
つまりは例外条項の有無もまた結局は政治の問題だってこと。技術的にどうこうではないよ。あれを必然だとGNUではなく「我々」が感じているだけであり、それは我々のほうの政治的感覚の中心点がそのへんに有り、GNUがそれに歩み寄った、というだけのこと。
#そのへんの感覚のズレが怖いからこそ我々はGPLを「読む」わけだ。あの難解な文章を。##でもいい加減面倒になってくるので適当に済ませてしまう人も多いけどねorz。ほかならぬGPL自体が人間可読性がかなりギリギリに低いのは不味い状況だぞ。
むしろ「どの」で表現できる分CCのほうがマシでしょう。GPLの例外は形式化されているわけではないので、そのすべてを文章で説明する必要がありますし、機械読み取り可能でもありません。
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だからCCは属性を添えろとあれほど (スコア:1, すばらしい洞察)
CCじたいにかなり広い選択の幅が有るから、「CCで」だけだと何をどう許諾してるのか判らん。単に「配信スタート」としか言ってないのと大差ない。
今回は本文中にはCCのドレなのかは書かれてるけど、タイトルには書かれてないのが減点。せめてスラドではきちんとしようよ。そうでなきゃ凡百マスコミとの差別化は全然図れないよ。
一言言い添えるのを楽にするためにも、属性をコンパクトに言う方法が用意されてるんじゃないのか?>CC
本邦も早くそうなってくれ…
Re:だからCCは属性を添えろとあれほど (スコア:1, 参考になる)
ここまで無頓着だと、FSFが「『どのCCか』といちいち聞き返さなければならないのが問題」と言っている [gnu.org]のも単なる言いがかりとは思えなくなってきますね。
Re:だからCCは属性を添えろとあれほど (スコア:1)
同意だがお前(FSF)が言うな。
GPLも生GPLと例外つきGPLは別物だから、「『どの例外か』といちいち聞き返さなければならない」
安全側に振って一番厳しい条件で考えてれば違反することはないけど、それはCCでも同じだよね。
#無知か戦略上の理由(別ライセンスを用意など)で意図的にしている場合を除けば生GPLは使えない(場面が多い)ので、
#理解してる人(FSFなど)は例外つきGPLにしてることが多い
Re: (スコア:0)
そんなに多い?
gcc とか bison とかの性質上必然的なものしか思いあたらないけど……
Re:だからCCは属性を添えろとあれほど (スコア:1, すばらしい洞察)
「性質上必然的」ではないでしょう。
GPLはもともと「主義主張」の産物(他よりも遥かに主義主張面の比率が高い)だけど、
ほんとにその主義主張に徹底して拘るなら、例外条項なんてつける必要は無いんだよ。
「くくくくく。gccでmakeしやがったな!おまえら今日からGPLだ!!!」でOKなんだよ、FSF思想的には。
だけどそれをしないのはいわゆるゲンジツを見てしまったからでしょ。
「もっと多く使ってもらいたい」と思ったからでしょ。
#さもなくば今頃「gcc?ああそんなコンパイラもあったね。誰も使ってないだろけど」というマイナーコンパイラでしかなかったろう。(理由は違うけど)Hurdみたいな状況になっていただろうね。
つまりは例外条項の有無もまた結局は政治の問題だってこと。技術的にどうこうではないよ。
あれを必然だとGNUではなく「我々」が感じているだけであり、
それは我々のほうの政治的感覚の中心点がそのへんに有り、GNUがそれに歩み寄った、というだけのこと。
#そのへんの感覚のズレが怖いからこそ我々はGPLを「読む」わけだ。あの難解な文章を。
##でもいい加減面倒になってくるので適当に済ませてしまう人も多いけどねorz。ほかならぬGPL自体が人間可読性がかなりギリギリに低いのは不味い状況だぞ。
Re: (スコア:0)
むしろ「どの」で表現できる分CCのほうがマシでしょう。
GPLの例外は形式化されているわけではないので、そのすべてを文章で説明する必要がありますし、機械読み取り可能でもありません。