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一人だけなら直接話しあう場を設けるべきではないのだろうか。それとも美術館側がビビって早く隠せよと言いたくなるような人物なのだろうか。それならなおさら公開討論でもすべきではないだろうか。美術館主催でやれば客も呼べそうだが。
討論なんか必要あります?
いくら屁理屈をこねた所で、お役所がショバの主の場でお役所批判をして、お役所がご立腹で館がその意見を受け入れたんならそれまででしょう。表現の自由とかの話でもないです。
あとは展示中止の損害のお金の問題をどうするか話し合って、展示したければお役所の運営ではない館でやりゃいいだけです。
あくまで表現の自由の問題ですよ。いつから東京都の所有地は表現の自由の対象外になったんですか?今流行の特区というものですか?
たかが発表の場を奪われる程度、何ら問題はありません。検閲でもないし。他者が「こんなもの見せたくない」っていう意見の表明を受けて、各々の意見が出て、それで撤去が妥当だと判断した。民主主義の妥当性がちゃんとある。
表現の自由ってのは、個人が何らかの意見を表明しても、それを理由に殺されたり個人の尊厳を奪われるのを非とするものです。ってチョムスキーさんも「メディア・コントロール」で言ってる。
発表の場が奪われるのは大問題です。
その論理だと、日本国領土内では日本政府の悪口を言ってはならない。日本国外で言えば良い。発表の場は海外にいくらでもある。という話になります。これって立派な言論弾圧でしょう。
たとえ芸術的であろうとなかろうと、政治的であろうとなかろうと、表現の自由を制限するからには、それに見合う合理的な理由が必要です。公序良俗に反するとか、特定の個人の誹謗中傷であるとか。さて、今回の展示では、誰がどのような不利益を受けますか?それは、作品を取り下げるに値するものですか?
あえて分かりやすい極端な例を言えば、
「私的に建てられ運営されている個人美術館に対し、政府が展示品に文句をつけて撤去させたり展示前にレビューしなきゃ公開しちゃダメとか言う」のは表現の自由に抵触する事例でしょうね。展示物が方に照らして明らかにアウト(例えば明らかな名誉毀損とか)という場合に、展示後に文句をつけるのは一応アリとなりますが。
一方、「都庁の敷地内に併設されてる『都庁美術館』の展示内容に都庁側が文句言ったり公開前に内容を確認したり人選にアレコレ注文つける」のは表現の自由に抵触するとは言い難い。『都庁美術館』の展示物は都庁を褒め称えるものばかりになろうと、ひとまず表現の自由という観点からは「好きにしろ」と言わざるを得ない。(美術館の運営方針として超カッコワルイので「美術館がこうと決めたら都側になんと言われようと貫け」と批判される可能性は高いが)
「発表の場が奪われる」というのは「都の持ち物でもないのに都が文句をつけた場合」であって、「都の美術館で発表するものに対し都が文句をつけた場合」にはそれにあたりません。非常にかっこわるく、批判されてしかるべき行為ではあるものの、表現の自由の侵害とは言えません。それを言うなら「都の美術館以外の美術展示は認めない」とか「都以外が美術展示する場合には事前に都に展示物の内容を確認させ、許可を得ること」とか言い出した場合にアウトとなります。
そういう線引きをしておかないと、例えば都が主催するコンペやコンテストでは応募作品を全て展示しないと表現の自由違反だ、みたいな話になりかねません。都が金を出してるなら都は文句をつけられるんですよ。文句の付け方に良し悪しがあるってだけで。
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
文句つけたのは一人だけみたい (スコア:2)
一人だけなら直接話しあう場を設けるべきではないのだろうか。
それとも美術館側がビビって早く隠せよと言いたくなるような人物なのだろうか。
それならなおさら公開討論でもすべきではないだろうか。
美術館主催でやれば客も呼べそうだが。
Re: (スコア:0)
討論なんか必要あります?
いくら屁理屈をこねた所で、
お役所がショバの主の場でお役所批判をして、お役所がご立腹で館がその意見を受け入れたんならそれまででしょう。
表現の自由とかの話でもないです。
あとは展示中止の損害のお金の問題をどうするか話し合って、展示したければお役所の運営ではない館でやりゃいいだけです。
Re: (スコア:1)
あくまで表現の自由の問題ですよ。
いつから東京都の所有地は表現の自由の
対象外になったんですか?
今流行の特区というものですか?
Re: (スコア:0)
たかが発表の場を奪われる程度、何ら問題はありません。検閲でもないし。
他者が「こんなもの見せたくない」っていう意見の表明を受けて、各々の意見が出て、それで撤去が妥当だと判断した。
民主主義の妥当性がちゃんとある。
表現の自由ってのは、個人が何らかの意見を表明しても、それを理由に殺されたり個人の尊厳を奪われるのを非とするものです。
ってチョムスキーさんも「メディア・コントロール」で言ってる。
Re: (スコア:1, すばらしい洞察)
発表の場が奪われるのは大問題です。
その論理だと、
日本国領土内では日本政府の悪口を言ってはならない。
日本国外で言えば良い。発表の場は海外にいくらでもある。
という話になります。これって立派な言論弾圧でしょう。
たとえ芸術的であろうとなかろうと、
政治的であろうとなかろうと、
表現の自由を制限するからには、
それに見合う合理的な理由が必要です。
公序良俗に反するとか、特定の個人の誹謗中傷であるとか。
さて、今回の展示では、誰がどのような不利益を受けますか?
それは、作品を取り下げるに値するものですか?
Re:文句つけたのは一人だけみたい (スコア:0)
あえて分かりやすい極端な例を言えば、
「私的に建てられ運営されている個人美術館に対し、政府が展示品に文句をつけて撤去させたり展示前にレビューしなきゃ公開しちゃダメとか言う」のは表現の自由に抵触する事例でしょうね。
展示物が方に照らして明らかにアウト(例えば明らかな名誉毀損とか)という場合に、展示後に文句をつけるのは一応アリとなりますが。
一方、「都庁の敷地内に併設されてる『都庁美術館』の展示内容に都庁側が文句言ったり公開前に内容を確認したり人選にアレコレ注文つける」のは表現の自由に抵触するとは言い難い。
『都庁美術館』の展示物は都庁を褒め称えるものばかりになろうと、ひとまず表現の自由という観点からは「好きにしろ」と言わざるを得ない。
(美術館の運営方針として超カッコワルイので「美術館がこうと決めたら都側になんと言われようと貫け」と批判される可能性は高いが)
「発表の場が奪われる」というのは「都の持ち物でもないのに都が文句をつけた場合」であって、「都の美術館で発表するものに対し都が文句をつけた場合」にはそれにあたりません。
非常にかっこわるく、批判されてしかるべき行為ではあるものの、表現の自由の侵害とは言えません。
それを言うなら「都の美術館以外の美術展示は認めない」とか「都以外が美術展示する場合には事前に都に展示物の内容を確認させ、許可を得ること」とか言い出した場合にアウトとなります。
そういう線引きをしておかないと、例えば都が主催するコンペやコンテストでは応募作品を全て展示しないと表現の自由違反だ、みたいな話になりかねません。
都が金を出してるなら都は文句をつけられるんですよ。文句の付け方に良し悪しがあるってだけで。