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「持ちつ持たれつ」と言う言葉は存在しないんでしょうかねぇ。リンク先を見る限りは、頭の良くない極一部のユーザー(?)がオイタしたようにも見えますが……。
日本では偶々レベルの話の印象ですが、あっちでは日常茶飯事?
中国ではこういうのを『義理人情』というらしい。
『 【中国ブログ】中国人から見た「中国人とアメリカ人の違い」 2010/12/17(金) 16:13:37 [サーチナ] [searchina.ne.jp]』
一方、別の中国人男性ブロガー「我本善良」さんも「中国人とアメリカ人の違い」というタイトルでブログを書き、両国民の違いに言及してる。彼は「中国人は義理人情を重んじるが、アメリカ人はそれほどではない」と語り、実体験を紹介。「以前、アメリカ人のルームメイトに『金を払うから一緒に無線LANを使わせてくれ』と頼んだことがある。すると彼
一方、別の中国人男性ブロガー「我本善良」さんも「中国人とアメリカ人の違い」というタイトルでブログを書き、両国民の違いに言及してる。彼は「中国人は義理人情を重んじるが、アメリカ人はそれほどではない」と語り、実体験を紹介。
「以前、アメリカ人のルームメイトに『金を払うから一緒に無線LANを使わせてくれ』と頼んだことがある。すると彼
元のブログへのリンクないですけど、たぶん訳者が日本語の適当な単語を当てはめただけかと。#まあ、日本製の漢語が中国に逆移入されている例も多いですので、断言できませんが。
「義理人情」って日本で出来た組み合わせのはず。「義理と人情の板ばさみ」って演歌のテーマですけど、そもそも『義理』が
って、漢語では「義・理」だけで板ばさみになるのに、「義理」だけで一つの意味にしたのが日本語。
漢語では「義・理」だけで板ばさみになるのに、「義理」だけで一つの意味にしたのが日本語。
なんか「義理」って熟語は日本で作られた、という主張に見えるんだけど、そうなの? 「義理」には遅くとも漢代以前の用例があった(たとえば『管子』形勢解)みたいだけど。
それに、「義」を「人と人とのつながりを主とした」と限定する方が日本的な感じもするなあ。
『礼記喪服』に「理者義也」(この「者」は書き下しでは「は」になる)とあり、『荀子大略』に「義理也」とあり、『礼記表記』には「義者天下之制也」とあるみたいなんだよね。これらの定義に「人と人とのつながりを主とした」という限定は読み取りにくいし、前二者の定義はまさに「義=理」と言っているわけで、現代中国語ではどうか知らないけど、中国の古典では「義」と「理」を矛盾するものとして扱っていない、というのは確かだと思うんだけど、どうよ。
# 有名な「見義不為無勇也」(『論語』為政)も、 # 人助けに躊躇するなとかそういう狭い意味じゃなくて、 # 正しい行いが何か分かっていてやらない奴はダメだ、 # ということなんだと解説書に書いてあると思うんだけど。
「義理人情」というのが日本で作られた四字熟語(?)というのはそうなのかもしれないけど、面倒なのでこれ以上調べるのはパス。
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あの国には (スコア:0)
「持ちつ持たれつ」と言う言葉は存在しないんでしょうかねぇ。
リンク先を見る限りは、頭の良くない極一部のユーザー(?)がオイタしたようにも見えますが……。
日本では偶々レベルの話の印象ですが、あっちでは日常茶飯事?
Re: (スコア:4, 興味深い)
中国ではこういうのを『義理人情』というらしい。
『 【中国ブログ】中国人から見た「中国人とアメリカ人の違い」 2010/12/17(金) 16:13:37 [サーチナ] [searchina.ne.jp]』
Re: (スコア:0)
中国ではこういうのを『義理人情』というらしい。
元のブログへのリンクないですけど、たぶん訳者が日本語の適当な単語を当てはめただけかと。
#まあ、日本製の漢語が中国に逆移入されている例も多いですので、断言できませんが。
「義理人情」って日本で出来た組み合わせのはず。「義理と人情の板ばさみ」って演歌のテーマですけど、そもそも『義理』が
って、漢語では「義・理」だけで板ばさみになるのに、「義理」だけで一つの意味にしたのが日本語。
Re:あの国には (スコア:0)
なんか「義理」って熟語は日本で作られた、という主張に見えるんだけど、そうなの? 「義理」には遅くとも漢代以前の用例があった(たとえば『管子』形勢解)みたいだけど。
それに、「義」を「人と人とのつながりを主とした」と限定する方が日本的な感じもするなあ。
『礼記喪服』に「理者義也」(この「者」は書き下しでは「は」になる)とあり、『荀子大略』に「義理也」とあり、『礼記表記』には「義者天下之制也」とあるみたいなんだよね。これらの定義に「人と人とのつながりを主とした」という限定は読み取りにくいし、前二者の定義はまさに「義=理」と言っているわけで、現代中国語ではどうか知らないけど、中国の古典では「義」と「理」を矛盾するものとして扱っていない、というのは確かだと思うんだけど、どうよ。
# 有名な「見義不為無勇也」(『論語』為政)も、
# 人助けに躊躇するなとかそういう狭い意味じゃなくて、
# 正しい行いが何か分かっていてやらない奴はダメだ、
# ということなんだと解説書に書いてあると思うんだけど。
「義理人情」というのが日本で作られた四字熟語(?)というのはそうなのかもしれないけど、面倒なのでこれ以上調べるのはパス。