アカウント名:
パスワード:
> 一部が「社会的ヒステリー状態」に陥っている
たぶん認めたくないだろうけど、「正義のためであるから反論は許さない」といった感じの雰囲気って結局のところ全体主義的ですよね。ナチと同じとは言わないが、「行きすぎになる」ことを警戒するとかバランスをとるための仕掛けか何かは必要だと思う…
海水浴場とかの公共の場で子供が写っている写真があるだけで…とかいう話は後世になれば「行きすぎ」の例とされるのは確実だと思うのだが
日本と違ってドイツでは例えば反民主主義的な政党は存在を許されないんじゃなかったかな。戦う民主主義と言えばかっこはつくけど、中身が何であれ正義に関してその核心が重要なんだよね。でないと正義の名の下に逆に尊重しようとしたものが侵されかねない。
良いものと悪いものに二分していたら全部捨てることになっちゃうぞ。
民主主義だからといって自由主義であるとは限らないということで・・。ベクトルが違うだけで国家社会主義だったころと大して違いは無いのかもしれん。
まあ児童ポルノがどれだけ規制されても僕には関係ないって態度だといつか自分に関わることが降りかかってきた時には手遅れだしなあだからといって今この規制に反対すると変態の烙印を押されるし
マルティン・ニーメラーの有名な詩ですね
ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は少し不安であったが、自分は共産主義者ではなかったので、何も行動に出なかった。次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったから何も行動に出なかった。それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人などをどんどん攻撃し、そのたび自分の不安は増したが、なおも行動に出ることはなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。そこで自分は行動に出たが、そのときはすでに手遅れだった。
> マルティン・ニーメラーの有名な詩ですね
> ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は少し不安であったが、自分は共産主義者ではなかったので、何も行動に出なかった。
さて日本でもオウム真理教が弾圧されましたし、最近では民主党の小沢党首も西松建設に絡んで国家から弾圧を受けているかのような声明をだしました。ニーメラーの詩を知っている私でもここらへんってたぶん自分たちへの弾圧まで拡がらないと思って何もしていません。
結局ニーメラーの詩なんてプロ野球の解説者よろしく結果論でしかなく、ここからなにかの教訓をえて将来に活かそうという前向きには使えませんよね。将来なんてわからないんだから。
>さて日本でもオウム真理教が弾圧されましたし、>(略)>自分たちへの弾圧まで拡がらないと思って何もしていません。
オウム真理教は、権力による弾圧が広がることを恐れて、破防法を適用しませんでしたよ。その結果面倒になったことはご承知の通り。
どっちが良かったかなんて、結局後世にならなきゃわからんのでしょうけど、それでも、「自分には関係ないからアホが弾圧されるのを見てメシウマしてよう/さわらず遠巻きに見ていよう」って考えは、ちょっと危ないかとは思います。
意外に日本は規制に慎重な国だと思います。権力の暴走に対する恐れが強いというか。まぁ、ここ数年微妙な感じがしていますけどね…。
政府がナチスを襲ったとき、自分は少し不安であったが、自分はナチ関係者ではなかったので、何も行動に出なかった。 次に政府は児童性愛者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、児童性愛者ではなかったから何も行動に出なかった。 それから政府はWiki、ブログ、パレスチナ人などをどんどん攻撃し、そのたび自分の不安は増したが、なおも行動に出ることはなかった。 それから政府はマスコミを攻撃した。自分はマスコミ関係者であった。そこで自分は行動に出たが、そのときはすでに手遅れだった。
#やってることは同じだったりして(^^;
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
全体主義的 (スコア:2, すばらしい洞察)
> 一部が「社会的ヒステリー状態」に陥っている
たぶん認めたくないだろうけど、「正義のためであるから反論は許さない」
といった感じの雰囲気って結局のところ全体主義的ですよね。
ナチと同じとは言わないが、「行きすぎになる」ことを警戒するとか
バランスをとるための仕掛けか何かは必要だと思う…
海水浴場とかの公共の場で子供が写っている写真があるだけで…
とかいう話は後世になれば「行きすぎ」の例とされるのは確実だと思うのだが
Re:全体主義的 (スコア:2, すばらしい洞察)
日本と違ってドイツでは例えば反民主主義的な政党は存在を許されないんじゃなかったかな。
戦う民主主義と言えばかっこはつくけど、中身が何であれ正義に関してその核心が重要なんだよね。
でないと正義の名の下に逆に尊重しようとしたものが侵されかねない。
良いものと悪いものに二分していたら全部捨てることになっちゃうぞ。
Re:全体主義的 (スコア:1)
民主主義だからといって自由主義であるとは限らないということで・・。
ベクトルが違うだけで国家社会主義だったころと大して違いは無いのかもしれん。
◆IZUMI162i6 [mailto]
Re:全体主義的 (スコア:1, 参考になる)
何か問題を見つけては「何も対策しないのか、問題があったらどう責任とるんだ」って論調が多いですから。
ヒステリーに陥る一因として関係する業者が積極的に煽ってることも考えられます。
ある権利関係のサービスを扱ってる会社の社長が「危ない危ないと言えば言うほど儲かる」と
言ってるのを聞いたことがあります。何の問題もないようなものを見せて「ここが危険、この部分の
これを作った人がこう権利主張(どう考えてもSCO並のいちゃもん)するかもしれないから」とか言ってました。
ポルノ関係だとフィルタリング業者とか、その辺りでしょうか。褒められたことではないですが一方
やれば儲かるのにやらないのは駄目経営なので自分がもしそのサービスを行っていても煽ると思います。
バイアスは差し引いて考えた方が良いですね。
Re: (スコア:0)
まあ児童ポルノがどれだけ規制されても僕には関係ない
って態度だといつか自分に関わることが降りかかってきた時には手遅れだしなあ
だからといって今この規制に反対すると変態の烙印を押されるし
Re:全体主義的 (スコア:3, 興味深い)
マルティン・ニーメラーの有名な詩ですね
ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は少し不安であったが、自分は共産主義者ではなかったので、何も行動に出なかった。
次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったから何も行動に出なかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人などをどんどん攻撃し、そのたび自分の不安は増したが、なおも行動に出ることはなかった。
それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。そこで自分は行動に出たが、そのときはすでに手遅れだった。
Re:全体主義的 (スコア:1, 興味深い)
> マルティン・ニーメラーの有名な詩ですね
> ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は少し不安であったが、自分は共産主義者ではなかったので、何も行動に出なかった。
さて日本でもオウム真理教が弾圧されましたし、最近では民主党の小沢党首も西松建設に絡んで国家から弾圧を受けているかのような声明をだしました。ニーメラーの詩を知っている私でもここらへんってたぶん自分たちへの弾圧まで拡がらないと思って何もしていません。
結局ニーメラーの詩なんてプロ野球の解説者よろしく結果論でしかなく、ここからなにかの教訓をえて将来に活かそうという前向きには使えませんよね。将来なんてわからないんだから。
Re:全体主義的 (スコア:2, 興味深い)
>さて日本でもオウム真理教が弾圧されましたし、
>(略)
>自分たちへの弾圧まで拡がらないと思って何もしていません。
オウム真理教は、権力による弾圧が広がることを恐れて、破防法を適用しませんでしたよ。
その結果面倒になったことはご承知の通り。
どっちが良かったかなんて、結局後世にならなきゃわからんのでしょうけど、それでも、「自分には関係ないからアホが弾圧されるのを見てメシウマしてよう/さわらず遠巻きに見ていよう」って考えは、ちょっと危ないかとは思います。
意外に日本は規制に慎重な国だと思います。権力の暴走に対する恐れが強いというか。
まぁ、ここ数年微妙な感じがしていますけどね…。
今のドイツの状況はこんな感じですか? (スコア:0)
政府がナチスを襲ったとき、自分は少し不安であったが、自分はナチ関係者ではなかったので、何も行動に出なかった。
次に政府は児童性愛者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、児童性愛者ではなかったから何も行動に出なかった。
それから政府はWiki、ブログ、パレスチナ人などをどんどん攻撃し、そのたび自分の不安は増したが、なおも行動に出ることはなかった。
それから政府はマスコミを攻撃した。自分はマスコミ関係者であった。そこで自分は行動に出たが、そのときはすでに手遅れだった。
#やってることは同じだったりして(^^;